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 投稿者:  投稿日:2013年 9月10日(火)17時19分6秒
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  個人の中にある「公のアイデンティティ」と「個のアイデンティティ」についての羅列

日本に生まれ、国際社会で自分の立ち位置を明確にして仕事をする上で、まず個のアイデンティティを明確にしないと信頼を得られず仕事も上手くいきにくくなる
日本とはどういう国で、どんな良いところがあって、どこが良くないところかを、自分の言葉で説明できなければならない
そしてそれは、高慢である必要も卑屈である必要もなく、主観性と客観性が織り交ぜられた内容で充分だ

それを私が語ると、第二次世界大戦の話は出てこない
それは私にとって自慢でも反省でもないからだ
なぜ自慢でも反省でもないのかと言うと、私自身がそれを肯定も否定もしていない為、評価の対象としていないからだ
過去の事を特定の視点から評価することは簡単だが、事実は事実であるだけで充分であり、必ずしも評価が必要ではない
評価しないということは反省しないと同義だから、同じ過ちを繰り返すぞと言われるが、それは別の事象に対して反省していれば転用できるケースも多々ある
つまりは、第二次世界大戦を反省していない人は戦争を賛美しているかと言うと、必ずしもそうではないと言うことだ

更に踏み込んで民族性についても、私は日本人以外の民族が日本人に対して上だとか下だとか思わない
そもそも、上とか下の意味がわからない
必要以上に褒めもしないが貶めたりもしない
今まで日本人以外の人と会話を交わして理解を深めたこともあるが、それだけでその国の全国民の傾向を悟るに充分な人数とは会話していない
日本代表として日本を語ることを任されているかのごとく語ってもよいが、たかだか数十年しか生きていない生き物が多くを語っても、役割を与えられていない以上は個の意見は公のアイデンティティにはなり得ない
それは役割でのみ許され認められることになっているみたいだからね

つまりは、「私は何も知らない」ということが個のアイデンティティである
だから、断定的に過去も現在も語れない
それを無視して、狭い知識と了見に基づき無理して何かを断言することがアイデンティティではないはずだ
わからないことはわからないと言う、それは大切なことだと思う
わからないと思うからこそもっと知りたい、事実を知りたい、真実を知りたいと思えるのだろう
しかし、知ることのできることは残念ながら過去だけだ
過去は幾ら知っても過去に過ぎず、それは未来の何かを予想させてはくれても未来そのものには絶対になり得ない
つまり、過去から未来ができるとは限らないということであれば、自分の生きる未来を過去にとらわれ過ぎてもしょうがないとさえ思える

過去の全てをなかったことにしてとまでは言わないが、過去は過去、未来は未来、その境目に今の自分が生きていて、未来をどうするかは今の自分次第であること、そしてその意味をしっかり感じないと、今は単に過去の延長にすぎず、未来もそうなってしまうだろう
それでは、未来が余りにもったいなさすぎる
未来が過去の延長でしかないなら未来に希望なんかない
今の自分が未来を作れると思うからこそ希望が生まれるものだし、何かがあっても強く生きてもいけるのではないか

いやいや、そんなこと、実は考えなくていいよね
考えれば考えるほど、楽天的で無口な人になってしまって、逆に生きにくくなってしまうものね
深く考えず周りに流されて生きた方がラクなんだよ、って言われると、俺にはそれこそが最大の苦痛なんだよと思いつつも、そうかもなぁと思ってみたり

正解なんてないことはわかっているけれど、やっぱりよくわかんない
でも考えることは止められなくて、一人でしんどくなってしまったり

そんなこんなで今を過ごしている個でありましたとさ
 
 
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