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小里城(岐阜県瑞浪市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 4月 7日(月)19時47分22秒
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  今回の旅で最も比高差のある山城です。山麓からの比高は約180m。朝から山城ばかり登ってきたのでこの時点でもうヘトヘトでした。

小里城は1532年頃、土岐一族の小里光忠が築城しその後、小里氏の居城となりました。天正2年(1574)、織田信長は武田勢に対抗するため、この城に池田恒興を配して当城の改修をさせました。この時、山上に天守台が築かれたという。本能寺の変後、小里氏は徳川家康を頼ってこの地を去りますが、関ヶ原の合戦で軍功を挙げ旧領を回復し山麓に居館(御殿場)を構えたと考えられています。元和9年(1623)、小里氏は断家され小里城も廃城されました。

さて小里城の構造は山麓部の「御殿場」と山上部の「本丸」の二つに別れます。山麓の御殿場は石垣造りの立派なものです。(写真上) ただ、全く戦闘的ではありません。関ヶ原合戦後の小里氏の石高は4000石弱だったのでこの程度の陣屋で十分だったのでしょう。

その御殿場から更に登っていくと山上に「本丸」があります。(写真中) 本丸には「枡形」と呼ばれる天守台があります。(写真下) 本丸周辺には「二の丸」「三の丸」の看板がありますが、それらを区切るものは何もありません。山上には見事な天守台がある割に、その周辺は巨石がゴロゴロしているだけです。とにかく巨石のせいで居住性が低く、ここが曲輪だったとは思えないほどです。天守台は不等辺多角形で一体どんな天守が乗っていたのかと首をひねってしまいます。(写真下)

山上の遺構は何かと謎が多いです。天守台隣りの石碑にヒントが隠されておりました。その石碑は昭和29年に地元の顕彰会が建立したもので次のようなことが書かれております。「自来四百余年風雪にさらされ草にうずもれて影もなかったのを村民有志は本城の清掃枡形の復元を思いたった(中略)工人成瀬国平に依頼して石垣の修復をしたものである」とあります。「影もなかった」のを昭和29年に地元民によって復元されたのだという。この復元作業にあたり、検証がどのくらい行われたのは不明ですが、「影もなかった」状態から素人衆の手によって「復元」されたことは確かです。「模擬天守台」くらいに考えておいた方がよさそうです。

ちょっと問題が残る小里城ですが、他にも要所要所に石垣が構築され見応えのある山城でした。
 
 
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