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四国ツアー:その21

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 7月16日(月)22時09分49秒
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  ●野良時計(高知県安芸市)

安芸城城下町を散策していると近くに「野良時計」というものがあることに気付きました。「野良時計」というネーミングの珍しさから雨の中探し当てたのがこれ。民家の屋根が時計台になっております。

説明板を読むと次のようなことが書かれております。この地の地主、畠中源馬は時計に興味を持ち米国から取り寄せた。それを何度も分解しては組み立てているうちに自分でも製作したくなってきてとうとう完成させてしまったのがこの野良時計だそうな。時に明治20年頃。パーツ類は全て手作りにも関わらず今でも正確な時間を刻んでいるとのこと。
 
 

四国ツアー:その20

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 7月15日(日)21時37分12秒
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  ●桂浜(高知県高知市)

浦戸城のすぐ近くにある桂浜、高知県を代表する名所でもあるので雨の中、傘を差しながら散策してみました。有名な坂本龍馬像もあります。

このあと昼食に名物、鰹のタタキを食したのですが、これが美味いのなんの。普段食っているものとはまるで別物のように感じられたほどです。もしこれが旬の時期だったらどれほど美味かっただろうかと思いを巡らせてしまいました。
 

四国ツアー:その19

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 7月14日(土)20時45分8秒
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  ●宇和島市立歴史資料館(愛媛県宇和島市)

樺崎砲台のすぐ隣りにあるのがこの宇和島市立歴史資料館です。なかなか洒落た建物だと思っていたら、元々は明治17年に建造された警察署だったとのこと。当時は随分ハイカラな警察署だったのでしょう。

その敷地内に無造作に置かれているのが帝國海軍酸素魚雷機関部です。なんでもこれは宇和島海軍航空隊における甲種飛行予科練習生のための実習教材だったそうな。屋根の下に収まっているので保存状態はいいです。
 

四国ツアー:その18

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 7月13日(金)19時02分16秒
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  ●岩崎弥太郎生家(高知県安芸市)

ご存知三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎の生家です。安芸城の近くにあります。

我が三菱ミラージュ号とのツーショットを撮ってやろうと意気込んでいたのですが、とても車を乗り入れられるような場所ではなかったので泣く泣く断念。一昨年「龍馬伝」放映時には大盛況だったらしく、巨大な駐車場が整備されていたり、真新しいみやげ物屋などもありました。
 

四国ツアー:その17

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 7月10日(火)21時31分25秒
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  ●呉鎮守府第二十三突撃隊手結派遣隊跡(高知県香南市)

この基地は「震洋」の部隊でした。震洋とは陳腐なモーターボートに爆薬を搭載し敵艦に体当たりするという特攻兵器の一つです。昭和二十年八月十六日つまり終戦の翌日、この部隊に出撃命令が下り出撃の準備をしていたところ、漏れた燃料に引火し燃え移った震洋は瞬く間に爆発を繰り返し一瞬のうちに111名の将兵が散華しました。

この事件はテレビのドキュメンタリーを見て知っていたのですが、たまたま通りかかったので寄ってみました。その番組の中では生き残った隊員が出演していて「戦争は終わったというのに、出撃せよとはどういうことだ。馬鹿馬鹿しいので数人で命令を無視して出撃準備をせずにいたところ、震洋が大爆発し始めた」というようなことを証言していました。

写真下は港の様子ですが、コンクリート製のスロープが何本もあります。おそらくこれは震洋出撃用のスロープではなかろうかと思います。

 

四国ツアー:その16

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 7月 7日(土)22時01分21秒
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  凸安芸城(高知県安芸市)

計画では高知市近辺の中世山城を巡るはずだったのですが、雨天のため予定変更しお気軽に見学出来そうな安芸城にやって来ました。

安芸城は小高い独立丘に築かれた詰め城部とその山麓の曲輪に別れています。詰め城は中世城郭の雰囲気がプンプンしますが、山麓部は完全に近世城郭の風情です。

城下町も武家屋敷が残っていたりと、こちらも見応えがあります。

 

四国ツアー:その15

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 7月 5日(木)23時38分19秒
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  凸浦戸城(高知県高知市)

長宗我部元親の居城です。一時、山内一豊も居城にしていました。

残念ながら遺構の残存は乏しく、城らしい雰囲気もあまり感じられません。写真の通り石垣があるものの「随分変な場所にあるなあ」などと思っていたら、どうやらどこかから移築されたものらしいです。社が写っている場所は天守台跡。

かなり本格的な雨になってきたので城探索は早々に切り上げて、城域に建設されている「県立坂本龍馬記念館」を見学してきました。一昨年「龍馬伝」放映時にはおそらく賑わっていたことでしょう。
 

四国ツアー:その14

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 7月 3日(火)19時26分51秒
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  凸高知城(高知県高知市)

前回、高知城を訪問した6年前はちょうどNHK大河ドラマ「功名が辻」の放映中だったお陰で、それはそれは大盛況でした。現在はと言うとご覧の通りガラガラでした。雨天の朝っぱらというのもあるのですが・・・。
 

四国ツアー:その13

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 7月 2日(月)19時25分57秒
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  ずっと天気が良かった四国ツアーもこの日から雨が降り出しました。

●須崎砲台(高知県須崎市)

幕末の土佐藩が構築した海防砲台です。こちらも石垣が残っております。

土佐藩は土佐勤王党はともかく藩としては積極的な攘夷のイメージは薄いのですが、こんなしっかりした砲台を築いているんですね。直接太平洋に面した土地柄だけ合って、直に外国からの脅威を感じ取っていたのでしょう。

 

四国ツアー:その12

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月30日(土)22時38分0秒
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  凸河後森城(愛媛県北宇和郡松野町)

訪問予定にはなかった河後森城ですが、近くを通りかかったので寄ってみました。夕暮れが迫っていたので急ぎ足での見学となってしまいました。

ご覧の通り中世の山城です。馬蹄形の尾根にいくつもの曲輪が築かれております。上総の細尾根城郭に似ていますが、こちらの方が曲輪面積は大きく細尾根という訳ではありません。
 

四国ツアー:その11

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月29日(金)23時46分57秒
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  ●樺崎砲台(愛媛県宇和島市)

幕末宇和島藩の海防砲台です。砲台手前の空堀の様な部分はかつて海だったそうで、海に突き出した砲台だったことが判ります。驚いたことに昭和50年頃まで海だったそうな。

下部の石垣は現存部分でその上の胸墻、砲眼部分は復元ぽいです。レプリカの大砲は三十六ポンドカノン砲だそうですが、砲座は残念です。これでは仰角はとれても左右には振れません。
 

四国ツアー:その10

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月28日(木)20時38分0秒
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  凸宇和島城(愛媛県宇和島市)

築城名人、藤堂高虎による縄張りで、公儀の隠密をも騙した五角形の塁線を持っています。

 

四国ツアー:その9

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月27日(水)23時01分59秒
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  凸大洲城(愛媛県大洲市)

複合連結式の天守が美しい大洲城です。天守は復元ですが、付属している高欄櫓と台所櫓は現存ものです。

 

四国ツアー:その8

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月26日(火)23時05分26秒
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  凸湯築城(愛媛県松山市)

道後温泉のすぐお隣にある湯築城です。なんだか久し振りに土で出来た城を見たような気がします。前回はすでに閉館して見学出来なかった武家屋敷等も今回はじっくり観て参りました。

 

四国ツアー:その7

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月25日(月)22時32分56秒
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  凸松山城(愛媛県松山市)

現存の建物が沢山残る松山城は何度来てもいいですね。前回訪問時はちょうど天守の修復中でブルーシートがかかっていて残念な姿でしたが、今回はそんな無粋なものはなく本来の美しい姿を拝むことが出来ました。
 

四国ツアー:その6

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月24日(日)19時48分10秒
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  凸今治城(愛媛県今治市)

前回の訪問時は黒御門復元工事の真っ最中でしたが、さすがにこちらは完成しておりました。
 

四国ツアー:その5

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月23日(土)21時34分19秒
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  凸川之江城(愛媛県四国中央市)

予定にはなかったのですが、近くを通りかかったので寄ってみました。すでに閉館時間を過ぎていたので、模擬天守内へは入れませんでした。立派な模擬天守、櫓、門等が建てられておりますが、旧状を正確に復元しているものではないとのこと。

 

四国ツアー:その4

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月22日(金)19時03分53秒
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  凸丸亀城(香川県丸亀市)

何度来ても石垣が美しい丸亀城です。

前回訪問した際はなかったのですが、「丸亀城バサラ京極隊」なるものが結成されているそうです。私が到着した時はすでにイベントは終わっていました。ちょっと見てみたかった気もします。

丸亀城バサラ京極隊はこちら
http://www.kyogokutai.com/

さて話は変わりますが、香川県と言えばうどんです。今回、香川県内に滞在した時間は半日にも満たないのですが、うどんは二回も食ってしまいました。やはり本場の讃岐うどんは美味いです。うどん屋の多さも半端ではなく幹線道路沿いならおそらく100mおきに一軒くらいあった気がします。間違いなくコンビニよりも多いです。しかも安いときたものだからうどん好きにはたまりませんな。
 

四国ツアー:その3

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月21日(木)20時09分9秒
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  凸高松城(香川県高松市)

前回来たのは2006年でその時、本丸石垣の修復工事が始まったばかりで周辺の水堀が埋め立てられ始めていました。それから6年も経ったので工事はとっくに終わっているものと思っていたのですが、その考えは甘かった。ご覧の通り工事の真っ最中。しかも前回は本丸には入れたにもかかわらず今回は通せんぼ状態。工事看板には期間は3月16日までとあるので、現在ではもう終了しているものと思われます。

ちょっとがっかりでしたが、別の面白いものを見ることが出来ました。当城の水堀は海から水を引き込まれているので、鯛などの海水魚が泳いでいます。前回は全く見られなかったのですが、今回は10匹くらいの魚を見ることが出来ました。


 

四国ツアー:その2

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月21日(木)00時34分55秒
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  凸徳島城(徳島県徳島市)

よく晴れた朝っぱらにやって来ました。中国地方ツアーでは雨ばかりだったので、久し振りに爽快な城巡りとなりました。

 

四国ツアー:その1

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月19日(火)20時34分41秒
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  四国は以前、バイクで一回りしたことがありますが、今回、百名城のスタンプ押しのために再びやって来ました。

神戸淡路鳴門道を走って四国へ上陸し最初の目的地は「道の駅第九の里」。なぜ道の駅かというと、到着時は深夜だったのでここで車中泊するために。朝起きてみると道の駅内に変わった建物があるではありませんか。近づいて案内板を読んでみますと、なんとこれは板東俘虜収容所の兵舎だというではありませんか。

●板東俘虜収容所(徳島県鳴門市)

第一次世界大戦に参加した日本は極東に於ける独逸軍根拠地、中国の青島を攻略しました。その時の独逸軍捕虜が国内の捕虜収容所に連行されて、後に本邦初となるベートヴェンの第九が演奏されたというのは知っていたのですが、たまたま寝るために立ち寄った道の駅がまさにその地だったのでした。

板東俘虜収容所は道の駅からちょっと離れた場所にありまして、現在公園になっております。当時の建物等の残存はなく新たに兵舎風の東屋が建てられております。道の駅の兵舎は、民間に払い下げられたものが牛舎として利用されていたものが発見されてこの地に移転させたのだそうです。
 

日本語検定

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月16日(土)19時41分13秒
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  随分色々な資格・検定試験を受けて来ましたが、唯一「こりゃ落ちた」と思ったのがこれ日本語検定です。

当検定は1級から7級までありますが、日本語に少々自信のあるここの管理人は最上位である2級を選びました。(1級は2級もしくは準2級を取得していないと受験出来ない)

テキストと問題集を買い込んでさらさらと読んだところ、「楽勝だろう」と踏んでたったの二日間しか勉強しなかったのであります。いざ、試験を受けてみますとこれが難しいのなんの。正直、時間が足りなくて見返す余裕もない始末で「こりゃ60点くらいだな」と諦めていたのでありました。(合格点は80点以上)

ところがネットで合否を確認してみますとなんと合格! 点数は79.2点。80点未満なのにどういうこと?と訝しがってもう一度受験要項を読み返してみると、「合格は80点程度以上」とあるではないですか。0.8点分はおまけしてくれたようです。

そんな幸運もあってなんとか合格出来たのでありました。
 

中国地方ツアー:その15

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月14日(木)19時40分51秒
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  ●おまけ

浜田城から吉田郡山城へ向かう途中、あれよあれよという間にこんな雪になったので記念に一枚。場所は広島県安芸高田市(旧美土里町)の栗屋峠付近だと思います。

一応、雪用チェーンは持っていたのですが、装着した経験もなく面倒くさそうだったのでノーマルのままで走ってしまいました。(チェーン規制は出ていなかったし)

後で知ったのですが、広島県には結構スキー場が多いんですね。そんなことも知らず中国山地を走破してしまいました。

以上で中国地方ツアーはお終いです。
 

中国地方ツアー:その14

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月13日(水)23時22分58秒
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  凸津山城(岡山県津山市)

二度目の訪問ですが、今回はスタンプ押しに。当城は閉館時間が17:00で私が到着したのが16:30。そんな訳で切符売り場からスタンプが置いてある備中櫓まで猛ダッシュするはめに。スタンプは無事押せましたが、残念ながら城内をゆっくり見学することは出来ませんでした。

 

中国地方ツアー:その13

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月12日(火)19時10分35秒
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  凸吉田郡山城(広島県安芸高田市)

ご存知、毛利輝元の居城です。総石垣の近世城郭ばかり見てきたので、こういった土作りの山城はどうしても古臭く見えてしまいますね。石垣は全くない訳ではなくて、崩落しているか所々に残存しています。
 

中国地方ツアー:その12

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月11日(月)22時01分11秒
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  凸浜田城(島根県浜田市)

「ロケみつ」で稲垣早希嬢も来たことのある浜田城です。彼女はここで不気味な絵を描いたり、子供に「あんたバカァ!」と言い放ったりしておりました。残念ながらそのシーンをキャプチャすることは出来なかったので、こちらのサイトをご覧下さい。

「みんなが知ってる!桜 稲垣早希」
http://mienosakifan.mie1.net/e220060.html

ところで、この浜田城訪問にはちょっとトラブルが発生したのでありました。訪問前夜に浜田城近くの道の駅で車中泊し、07:00に浜田城に到着する予定だったのですが、06:00に起床し出発の準備をしつつ07:00近くになっても真っ暗! この日は1月23日だったのですが、この時間この地ではまだ陽が昇らないのです。じっと待っているのも馬鹿らしいのヘッドライトを点灯させて浜田城に向かうことに。到着しても陽は昇らず、そのうち明るくなるだろうと真っ暗な中、城内を散策。07:40頃になってようやく写真が撮れるくらい明るくなったのでした。経度の差を身に染みて感じた一件であったのでした。それにしても真っ暗な中、小学生が列をなして登校しているシーンはとても印象的でした。
 

中国地方ツアー:その11

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月 9日(土)20時51分32秒
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  ●萩城下旧跡:その3

山県有朋誕生地。帝國陸軍の祖であり内閣総理大臣等を歴任した明治の元勲の一人ですが、萩藩時代は中間の身分でした。家屋は残されていません。

菊ヶ浜台場(女台場)。一通り萩城下見物を終えてカーナビを操作していたところ、その画面上に「女台場」という文字を発見。「ここは攘夷の本場。ならばどえらい砲台跡があるはず!」と思い、すっかり陽が落ちた夕暮れ時、ようやく探し当てました。
どう見てもこれは砲台ではなくてただの土塁。喰い違い虎口が一箇所あり、土塁の規模はかなり大きいです。でも大砲を配備するような施設ではありません。「攘夷の本場の砲台がこんなものとは」と呆れてその場を後にしたのでした。
帰宅してから調べたところ、次のようなことが判りました。文久三年、攘夷決行と称し長州藩は関門海峡を通過する欧米の船舶に砲撃を加えたところ大反撃を喰らい、攘夷どころではなくなったという事件がありますが、その直後、藩は欧米からの報復を怖れて急遽萩城防備の為にこの土塁を構築させたものだそうです。武士の妻や奥女中まで動員したので別名を女台場と称すそうな。
そんな訳でこれは台場と言うより防塁の一種と言えましょう。

 

中国地方ツアー:その10

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月 7日(木)22時57分39秒
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  萩市といえば誰もが知っている明治維新の立役者を何人も輩出していますが、地元で最も英雄視されているのが吉田松陰です。そんな彼の関連旧跡三題をご紹介します。

「吉田松陰誕生地」は城下から離れた山腹にあります。伊藤博文旧宅に近いです。残念ながら建物は残されておりません。

「松下村塾」は小さいと聞いていましたが、本当に小さいです。「ただの小屋じゃん」などと思いながら案内板を読んでみますと、元々小屋だったものを塾に改造したのだそうな。これも意外なのですが、松蔭がここで教育したのはたったの1年間だったそうです。そんな短期間で何人もの英傑をここで生み出したというのは驚きです。

「吉田松陰幽囚ノ旧宅」は「松下村塾」のすぐ隣りにあります。松蔭が密航を企てて投獄された後、幽閉処分になったのがこの家屋です。写真左側の手前に張り出した部屋がそれです。

 

中国地方ツアー:その9

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月 6日(水)22時49分30秒
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  ●萩城下の旧跡:その1

木戸孝允旧宅、高杉晋作旧宅、伊藤博文旧宅です。

木戸旧宅と高杉旧宅はなかり近い位置にあって萩城からの距離から察すると両者の身分がほぼ同等であった判りますが、伊藤旧宅は城下とすら言えない離れた場所にあります。伊藤家は足軽の身分だったのでそんなことになっているのでしょう。現地に赴くとそんなことを肌で感じることが出来ます。

高杉旧宅は外人さんの若い男女が見学していました。有名なアニメにでも登場するんでしょうかね。
 

中国地方ツアー:その8

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月 5日(火)19時00分33秒
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  凸萩城(山口県萩市)

倒幕勢力の雄、長州藩の本城です。地図を見て頂ければ判りますが、実に見事な選地です。ただ海城でもあるので海からの攻撃には一溜まりもありません。文久3年(1863)に藩庁を山口市に移しているのはその辺の事情があったのでは、などと想像しています。

ご覧の通り、かなりの本降りでこちらも傘と長靴装備で見学しました。予定では詰めの丸の指月山も登るつもりだったのですが、この雨では無理と断念しました。

 

中国地方ツアー:その7

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月 4日(月)19時05分52秒
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  ●津和野城下遺跡(島根県鹿足郡津和野町)

津和野城は険しい山上にあり建物の残存は皆無ですが、藩庁はその麓に置かれており、その建物はありがたいことに二棟残されております。

写真上は馬場先櫓で、津和野藩邸表門左方の角地に配された隅櫓です。注意していないとただの古い民家にしか見えないので通り過ぎてしまいそうです。

写真下は御物見櫓で、藩主が祭礼等の催し物を見物する際に使用した櫓。別の場所にあったものをここに移築したものだそうです。最初に見た時は倉庫かと思っていました。

 

中国地方ツアー:その6

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月 3日(日)19時01分28秒
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  凸津和野城城(島根県鹿足郡津和野町)

山陰の小京都こと津和野にある山城です。あいにくの雨の中、長靴履いて傘を差してリフトで登りました。

遺構は素晴らしいです。山上総石垣の城なので竹田城(兵庫県朝来市)などとよく似た雰囲気です。出来れば晴れた日に来たかった。リフトのおじさんに「見事な城ですね。シビレました」と話しかけたところ、「また天気の良い日に来て下さい」などと言われました。確かにそうしたいのはやまやまですが、こんな遠方にまた来ることがあるのだろうか・・・。
 

中国地方ツアー:その5

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月 2日(土)19時54分38秒
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  凸岩国城(山口県岩国市)

吉川広家が築いた山城です。山上へは徒歩でも登れるそうですが、大変そうなのでロープウェイを利用しました。天守は復興もので本来の位置とはちょっと離れた場所に建造されています。かなり変わった意匠の天守ですが、古い絵図を参照したものとか。

本丸背後には山城とは思えないほどの大規模な空堀がありますが、この辺は中世城郭の雰囲気を残しております。

岩国といえば錦帯橋ですね。そこから望む岩国城天守も撮って来ました。
 

中国地方ツアー:その4

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 6月 1日(金)19時07分47秒
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  凸広島城(広島県広島市)

広島城というとここの管理人は福島正則が大幅減封の憂き目に遭った城のイメージが強いです。

日清戦争の折りは本丸に大本営が置かれており、現在はその土台のみ残されております。
 

中国地方ツアー:その3

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 5月29日(火)20時55分14秒
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  凸福山城(広島県福山市)

こちらは初めての登城です。本格的な雨天での見学になってしまいました。天守閣は復元ですが、筋鉄御門と伏見櫓は現存です。

 

中国地方ツアー:その2

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 5月28日(月)20時13分45秒
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  だいぶ間が空いてしまいましたが、続けます。

凸岡山城(岡山県岡山市)

こちらも二度目でスタンプ押しにやって来ました。生憎の雨です。

当城には銃眼が綺麗に残っております。名古屋城や大阪城にもよく似たものがありますが、下の石の部分だけが残っており上の漆喰部分は失われております。銃眼の本来の姿がよく判る遺構です。
 

中国地方ツアー:その1

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 2月23日(木)22時04分52秒
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  凸赤穂城(兵庫県赤穂市)

初っ端から中国地方ではありませんがご容赦を。

忠臣蔵で有名な赤穂城です。3度目の訪問ですが、今回はスタンプを押しにやって来ました。前回の訪問よりも随分と整備が進んでいまして、民家が立ち退いていたり、土塁や石垣が復元されていました。真っ先にコンクリ製天守を建造するよりは、こういったやり方の方が好感が持てます。

 

近畿・東海ツアー:その11

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 2月 2日(木)18時49分49秒
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  近畿・東海ツアー:その11

●富士山二題

今回のツアーはこれで最後です。

旅の途中、富士山の美しい写真が撮れましたのでご覧下さい。12月だったのでまだ雪は少ないですね。もっと近づいても見たのですが、雲が富士山に絡み付くように流れて行く様子はちょっと不気味でもありました。
 

近畿・東海ツアー:その10

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 2月 1日(水)22時21分6秒
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  ●大井川鉄道 新金谷駅(静岡県島田市)

諏訪原城に行った際、大井川鉄道が近くにあることを思い出し新金谷駅までSLを見に行くことにしました。残念ながら運行中のものは無理でしたが、停車中の3両を拝むことが出来ました。

写真上は退役したC11です。このターンテーブルはちゃんと動作するそうです。

写真下は現役のC11とC10です。C11の方は発車に向けて準備中で盛んに煙を吐いたりシューシューと音をたてていました。ご覧の通り、手前に壁やら薪やらがあって残念ながら全体を見渡すことは出来ません。

 

追記:近畿・東海ツアー:その9

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 1月30日(月)20時19分50秒
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  前記事の史跡名が抜けていました。

●北山一揆史跡(三重県南牟婁郡紀宝町)

です。
 

近畿・東海ツアー:その9

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 1月29日(日)18時34分12秒
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  こちらもたまたま通りかかった史跡です。ここの管理人は北山一揆そのものを知りませんでした。北山一揆がどのようなものかは、現地案内板の内容をほぼそのまま転載して紹介させて戴きます。

「慶長19年12月27日、この川を挟んで対岸に新宮城主浅野軍が、こちらの岸辺に一揆方が布陣して戦った。一揆方は12月12日に新宮城を攻め落とすため、鮒田(紀宝町)まで押し寄せたが、浅野軍のため敗走し、ここ大沼に背水の陣を布き抵抗した。しかし、熊沢兵庫らに破れ四散した。この一揆参加者のうち363人が処刑された。一揆の原因については諸説あるが、新宮城主浅野氏の検地で年貢制が改悪されたことが主たるものである」

ということです。この綺麗なエメラルドグリーンの川を挟んで戦闘が行われたということです。こんな狭苦しい渓谷でそんな合戦があったというのは意外な感じがします。

 

近畿・東海ツアー:その8

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 1月28日(土)22時35分57秒
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  ●丸山千枚田(三重県熊野市)

たまたま通りかかったので見学。ただの棚田なんて珍しくもない、と思っていたのですが、なかなかどうして。これほどの大規模なものはそう多くはないでしょう。

「日本の棚田百選」にも選ばれ結構有名なのだそうです。日本人のコメにかける執念のようなものを感じました。

 

近畿・東海ツアー:その7

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 1月27日(金)21時56分24秒
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  ●熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)

今回のツアーでの城巡りは前回でお終いでして、これからはその他に立ち寄った場所をご紹介します。

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部、熊野那智大社です。子供の頃、日本一の落差がある那智滝に憧れていた頃がありましたが、とうとう来てしまいました。

実物はさすがに大迫力です。というか神々しい雰囲気で一杯です。現代人でもそう感じるのですから、古代人なら尚更でしょう。那智滝は飛瀧神社(那智大社の別宮)のご神体でもあります。

 

近畿・東海ツアー:その6

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 1月16日(月)18時32分28秒
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  凸駿府城(静岡県静岡市)

こちらもスタンプ押しに二度目の訪問です。前回は時間切れで復元された東御門巽櫓に入れなかったので、今回は早めに行って見学してきました。

東御門巽櫓内部は展示室になっているのですが、そこにあった張り紙が気に入ってカメラに収めてしまいました(写真下)。「城は縄張りが命」。ごもっともでございます。

駿府城といえば家康の隠居城というイメージが強いのですが、よく考えてみるとこの城は元々今川氏館だったので、家康は幼少時ここに人質として養われていたんですな。なぜ家康は人質という辛い想い出のあるこの城をわざわざ隠居城にしようとしたのでしょう。

 

近畿・東海ツアー:その5

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 1月11日(水)19時15分33秒
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  凸諏訪原城(静岡県島田市)

8年ぶりの訪城であります。以前訪問した時は2,3曲輪内が茶畑になっていて見学しにくかったのですが、今ではその茶畑は廃されて綺麗に遺構が見渡せます。一部、立木の伐採も実施されています。

いくつもの丸馬出はまさに圧巻であります。城に取り付こうとする敵兵がこの丸馬出からの猛烈な射撃によりバタバタと打ち倒れていく様子が想像出来ます。

 

近畿・東海ツアー:その4

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 1月 9日(月)22時56分16秒
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  凸掛川城(静岡県掛川市)

当城は三度目ですが、今回はスタンプ押しに。NHKで「功名が辻」を放映していた時は随分賑やかでしたが、さすがに今は落ち着いておりました。

二の丸御殿でスタンプを借りていると若い男性が私の背後に立っているので何かと思っていたら、彼もスタンプを押しに来ていたのでした。スタンプラリーをやっていてもほとんと同好の士と出逢うことはないのですが(姫路城で一回きり)、ここ掛川城では珍しくそんなことがありました。

 

近畿・東海ツアー:その3

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 1月 8日(日)11時58分59秒
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  凸佐味城(奈良県御所市)

「異形の城」といえばこれ、言われるほど有名な佐味城に行って来ました。本当に異形でした。

横堀、堀切、土橋等があるので城であるのは間違いないですが、その縄張りは築城通念からかなり逸脱しています。尾根に続く搦め手方面は厳重な2条の堀切や細い土橋で守られていますが、その通路を通って城内へ入ると何故か呆気なく主郭の土塁上へ登ってしまうお間抜けさ。やはり特筆すべきは方形に区画された無数の曲輪群(?)でしょう。まるで宅地造成のような雰囲気です。寺院跡ではないかとも言われているこの曲輪群、一体何なのでしょう?

この謎の遺構、表面観察だけではどうにもならないので、是非とも発掘調査をお願いしたいものです。

15:30頃に到着したのですが、城域は杉林となっていてこの時間でもかなり暗く写真もこんな感じになってしまいました。縄張りの異様さとこの薄暗さが相まって久し振りに不気味な城址に彷徨い混んでしまった感じがしました。

写真下は謎の石群です。所々にこのような石が集積されているような場所があります。石垣用にしては小さすぎるし、つぶて石用にしては投石陣地とは思えないような場所にあります。もしこの遺構が寺院跡だとしたら、石仏が破壊されたものではなかろうかと思ったりもしています。

 

近畿・東海ツアー:その2

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2012年 1月 1日(日)19時28分36秒
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  凸赤木城(三重県熊野市)

築城名人、藤堂高虎の城です。高虎が手がけた城というと宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城などの近世城郭が思い浮かびますが、それ以前の天正年間に築城したのがこの赤木城です。天正17年と言われているので高虎33歳の時の作品です。

当城は小規模ながらほぼ総石垣造りといってよく、主郭角に張り出した横矢掛け、外枡形と内桝形を組み合わせた主郭虎口、何度も屈曲させた導入路などは近世城郭の萌芽を感じさせます。

また、その洗練された縄張りと相反するような荒っぽい野面積みがいいコントラストとなっております。

 

近畿・東海ツアー:その1

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2011年12月29日(木)20時47分45秒
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  凸新宮城(和歌山県新宮市)

切り込みハギの石垣が美しい山城、新宮城です。打ち込みハギや野面積みもありますが、人目につく場所を重点的に切り込みハギを用いております。

「水ノ手」は山麓の熊野川に面する場所にあり、船着場兼倉庫群だったようです。発掘の結果、炭の粉が堆積しているのが確認され炭の倉庫であったことが判っております。当時、城主水野氏は新宮炭(備長炭)を専売しており、この水ノ手はその経済活動の拠点であったとのこと。このように城内において経済施設の発見は他に例がなく大変珍しいそうな。

 

メンタルヘルス・マネジメント検定

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2011年12月26日(月)19時26分47秒
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  メンタル関係にも興味のあるここの管理人は、今回メンタルヘルス・マネジメント検定に挑んでみました。コースはI種からIII種までありますが、私が選択したのはセルフケアコースであるIII種です。最近はセルフケアの重要性を強く感じておりますゆえ。

さて当検定は国家資格ではなくて民間検定の一つで、何故か大阪商工会議所が主催しております。最近では企業内でメンタルヘルスが重要視されているそうで、そういった知識を得た人材も求められつつあるとか。受験者は若い女性が多かったですね。私が今まで受けてきた試験は男ばかりが常だったので今回はちょっと新鮮でした。合格証はご覧の通りピンクの花模様という心に優しいデザインとなっています。

 

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