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凸小見川城(香取市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年10月26日(日)18時05分17秒
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  富田城(仮)に行ったついでに久しぶりに小見川城に寄ってみました。主郭の土橋、堀、土塁はなかなかいいのですが、公園化されすぎているせいか評価が低いです。

当城と富田城(仮)との距離は直線でたったの1.6km。正木氏が富田に陣取っていたときは、小見川城はすでに落城していたかもしれません。「東國鬪戰見聞私記」では城主、粟飯原氏は栗林義長軍に討たれております。

 
 

未知の城、発見? 富田城(仮)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年10月25日(土)20時49分33秒
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  香取市富田に城があったという伝承を聞きつけて探しに行って来ました。場所は香取市立小見川北小学校の辺りらしい。

伝承というのは次のようなものです。富田に居住するある一族はかつてそこに城を構えその城主であった。時代は不明。なお、現在その一族は当地を売却し引っ越している。その一族の苗字、屋号は公表できませんが、いかにもそれっぽいものです。

『千葉県埋蔵文化財分布地図(2)』を見ても富田に城館は一つも記されていません。現地に赴き調べてみますと、案外簡単に城っぽいものが見つかりました。小見川北小学校校庭内に長さ25m、高さ2mほどの一直線の土塁のようなものがありました。未知の城、富田城の残痕か。果たしてこれが本当に城館遺構なのかどうかは不明です。残念ながらこれ以外は見つかりませんでした。

文献上、この地に関するものがあるかというと、実はあるのです。それは「大須賀薩摩丸宛千葉胤冨書状」というものです。こちらの下の方をご参照あれ。

http://www17.tok2.com/home/a6m2/gunki/06-2.html

そこには「房州衆富田臺江打上陣取候而近邊相散候」とあります。現代語訳すると「房州衆(正木氏)が富田台に打ち上げ陣取っている。近辺を荒らし回っている」と言ったところでしょうか。当該ページを記述した当時、私は富田は台地ではないので富田台という名称はおかしいと思っていたのですが、ひょっとすると台とは台地状の地勢のみならず、島状の地勢をも表現してしていたのではないかと考えています。最も下の地図をご覧あれ。これは迅速測図を加工したもので、河川、湿地、水田を水色に塗りつぶしてみました。×印が土塁のある場所です。富田は周囲を水に囲まれた細長い島状の地形だったことが判ります。前述文献の「富田臺江打上」とある部分、私は「富田の台地上に登って」と解釈してしましたが「(島状の)富田台に上陸して」と読むと合点がいきます。正木氏は海賊の頭目ですから、利根川を軍船で乗り付けて富田台に上陸しそこを占拠したと考えられます。

富田が正木氏に陣取られていたことはほぼ間違いなく、そこに城を構えていた可能性が出て来ました。

調べているうちに、もう一つ興味深いことが判ってきました。前述の書状は、千葉胤冨が寺山城在番していた大須賀薩摩丸に正木氏を追い払うため富田への出兵を命ずる内容です。寺山城というのがどこの城なのか不明ですが、千葉市の廿五里城という説が有力です。この廿五里城のある地名と富田城(仮)城主の末裔の屋号がピタリと符合するのです。これは私の想像ですが、富田城(仮)を奪還した千葉氏は正木氏の再襲来に備えるべくそこに兵を入れて守備させていたのではないか。そして城主として廿五里城関係者が送り込まれたのではないか。

いろいろ想像は尽きませんが、この件に関してはもうちょっと調べてみたいと思っています。
 

祝ノーベル物理学賞受賞。赤崎・天野・中村3教授。

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年10月 9日(木)00時32分49秒
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  お祝いに青色発光ダイオードを3本、点灯させてみた。
 

【失敗作】路側放送専用ラジオ

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年10月 5日(日)18時27分42秒
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  実はカーナビ用アンプ&スピーカーを製作する際、ついでに路側放送受信用ラジオを組み込もうと考えました。バイク用に路側ラジオが欲しいと思っていたのでこの機会に試験的に車用を製作してみようという魂胆です。

下はその回路図とブレッドボード上に組み込んだ路側ラジオ。路側放送(1620kHz)専用なので回路も単純です。ラジオIC(TA7642)を使用したストレート方式。通常のバリコンは使用せず、トリマコンデンサで同調させます。こいつをミラージュ号に搭載して外環道の路側放送がされているエリアの高架下まで出向いて聴いてみました。結果は大失敗。エンジンを切った状態ではちゃんと聞こえるのですが、エンジンをかけるとイグニッションノイズの嵐で放送の方は殆ど聞こえません。電源は車のACCから採っているのでそこからイグニッションノイズが侵入していると思われます。それとアンテナは室内のバーアンテナと30cmくらいの補助アンテナだけなのでこれも悪影響を与えているのでしょう。正式なカーラジオのアンテナが全て外部アンテナになっているのはそれなりの理由があるのですな。

若干の改良を加えて2度ほど高架下まで行きましたが、結局ノイズしか聞こえませんでした。
 

カーナビ用アクセサリー2題の製作

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年10月 4日(土)21時49分0秒
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  友人から立派なカーナビを譲って戴きました。その性能を引き出すべくアクセサリーを二つ製作してみました。

○DC-DCコンバータ
当該カーナビは5Vで動作します。付属品としてシガーソケット式のDC-DCコンバータが付いていましたが、以前使用してしたカーナビ用電源ケーブル(12V)を活用した方がスマート(シガーソケット式はちと野暮ったい)なので、12Vから5Vへ変換するDC-DCコンバータを新たに作ります。

スイッチングレギュレータ用IC、NJM2811を使用して変圧回路そのものは単純ですが、保護回路を設けたのでちょっと複雑になってしまいました。NJM2811が何かの拍子に破損した場合、12Vがそのまま出力されてしまう可能性があります。するとカーナビはあっという間に昇天してしまうことでしょう。それを防止するために、もし出力電圧が6Vを越えた場合、NJM2811への電流をカットして動作を止めてしまうよう設計しました。一度カットしたらそれを持続しないといけませんが、フォトカプラを用いてそれを実現しています。実はこの保護回路の設計の方が厄介で、何度も実験を繰り返してようやくまとものなものになりました。

○外部アンプ&スピーカー
当該カーナビはポータブル用なので内蔵スピーカーは貧弱です。少々聞こえにくいので、外部のアンプとスピーカーを製作しました。スピーカーは以前\100ショップで購入したもの、アンプはNJM386BDを用いたオーソドックスなものです。ゲインを上げすぎたせいか、イグニッションノイズとカーナビからのデジタルノイズも増幅されてしまいます。エンジンを切るとちょっと気になりますが、走行中はほどんど聞こえません。

写真はダッシュボード上に設置した様子。どちらも順調に動作しております。
 

凸鴇崎城(香取市鴇崎)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 9月 1日(月)19時00分8秒
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  旧佐原市内城郭でお気に入りだった鴇崎城がとうとう破壊され始めてしまいました。

鴇崎城は20年ほど前のバブル期に土砂採取が決定し一部(3,4曲輪)が湮滅するのは判っていましたが、ほんの少し削っただけでそのまま放置されていました。1年くらい前はまだ健在だったのですが、最近訪れたところ見るも無惨な姿に変容しておりました。(上写真)

内部には入れなかったので詳細は不明ですが、遠くから観測するに削られた部分は4曲輪の3/4くらいと3曲輪の1/3くらいでしょうか。最も技巧的で見応えのあった3曲輪は重機が乗り込んだ形跡が見られるので遺構は破壊され尽くしているかもしれません。

写真中の黄色線部分は3,4曲輪を隔てる堀だと思われます。随分緩い堀に見えますが、これは堀を斜めに削り取ったためでしょう。

いつの間にか、主郭入口には案内板が建てられていました。(写真下) 地元の有志によるものです。主郭は無事です。
 

旧常陸太田市立瑞龍小学校(常陸太田市瑞龍町)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 8月31日(日)17時55分55秒
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  当校は2年前に廃校になりましたが、校庭に咲く桜(瑞桜)の美しさのお陰で観光名所になっているそうです。瑞龍とはいかにも帝國海軍の航空母艦にありそうなネーミングです。(海上自衛隊潜水艦「ずいりゅう」は実在する)

ロケ地として利用されているそうで、今回はAKB48の「昨日よりもっと好き」PVのアングルで撮影してきました。

そのPVはこちら。

https://www.youtube.com/watch?v=AbmeQJ9yj3I

地面が掘り返されてブルーシートがかけられていますが、発掘調査が実施されているようです。この地は古代の遺跡でもあり、校庭からは石棺や埴輪等が出土しているそうな。
 

凸岩瀬山城(須賀川市愛宕山)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 8月25日(月)22時07分13秒
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  久しぶりに須賀川市に行って来ました。岩瀬山城は比高約30mの山上に築かれた山城で、現在は翠ヶ丘公園として整備されています。公園化されていると言うことであまり期待していなかったのですが、城館主要部はあまり手を加えられておらず思いの外いい城でした。写真上は主郭の角に構築された櫓台跡です。主郭虎口へ横矢がかかっているのがよく判ります。

この日はバイクで出掛けたのですが、酷い猛暑で道端の温度表示で37度を指しておりました。カーナビを使用していたところ、なんと暑さでダウンしてしまうトラブル発生! 僅かの時間動作しているカーナビの地図を頭に叩き込んで何とか目的地まで到達したのでありました。
 

●東明寺(川越市志多町)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 8月24日(日)20時10分8秒
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  ここ東明寺付近は河越夜戦の激戦地であります。境内には案内板や石碑があります。周囲はすっかり住宅地になっており、遺構のようなものは見当たりません。

川越城は新河岸川にぐるりと囲まれたような地形に位置していますが、東明寺は川越城から北西約800mの新河岸川の湾曲部にあり、袋小路と言ってもいい場所です。川越城を包囲する足利・上杉連合軍は北条軍に奇襲を受け北方へ逃れようとしたはずです。ところが新河岸川に退路を塞がれて奇しくも敗走兵が集中したのがこの東明寺付近だったのでないでしょうか。

袋小路に追い詰められ戦意を喪失した兵に襲いかかる北条軍。夥しい戦死者が出たことは想像に難くありません。攻城勢が敢えて危険な背水の陣を構えていたというのは、相当舐めきっていたのでしょう。夜襲が成功した理由もこの辺から判って来そうです。
 

●砂久保陣場(川越市砂久保)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 8月23日(土)17時05分0秒
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  天文15年(1546年)河越夜戦の際、北条方の川越城を攻める上杉憲政はこの地に陣場を構えたとされています。(足利晴氏の陣との説もあり)

現在、稲荷神社となっていて陣城のような遺構は見受けられません。それでも市指定史跡なので案内板はあります。
 

凸松山城(埼玉県比企郡吉見町)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 8月 1日(金)19時18分19秒
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  埼玉県の名城、松山城に行って来ました。前回訪問したのはもう10年くらい前になります。

平成20年に当城は「比企城館跡群」の1城として国指定史跡になっております。国指定だからきっと綺麗に整備されているはず、と思いきや10年前と大して変わりありませんでした。(主郭の木が伐採されているくらい)

雄大で迷路のような空堀は健在でいかにも北条氏らしい風格があります。何度も戦闘を経験している城だけあってきな臭ささ満天です。
 

ベリカードコレクション:千葉テレビ

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 7月 2日(水)22時58分19秒
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  千葉県民にはお馴染みの千葉テレビです。元来、独立UHF局なので番組造りは独自路線を走っております。

私が子供の頃は、10:00頃に電波発射、以後静止画と音楽。13:00頃からマイナーな映画(マカロニウエスタンとか)。15:00から静止画と音楽。18:00頃からようやく普通の番組。23:00頃停波。といった感じでした。現在は他局同様の普通の放送をしています。

さてこのベリカード、受信報告書を提出してからなんと5ヶ月後に送られて来ました。「千葉テレビは財政難らしいのでベリカード発行は中止になったのかな」と諦めかけていた矢先でありました。遅くなってもちゃんとベリカードを発行してくれるのは有り難いことです。
 

凸名木城(成田市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 7月 1日(火)19時37分17秒
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  先日、ネットの地図を眺めていますと建設中の圏央道が名木城を掠めているのを発見しました。主要部は大丈夫そうですが、一応確認に行ってみました。

前回、名木城にやってきたのはもう10年以上前になります。単純な縄張りではありますが、遺構はほぼ完存だったので破壊されるのは勿体ないです。

さて、現地に到着すると主要部は無事。写真上は堀切(多分)で左側が主郭方面、右側は台地付け根方面です。ここを登っていくと台地付け根方面はすっかり圏央道となっています。ここらあたりはめぼしい遺構はなかったと記憶していますが、『千葉県埋蔵文化財分布地図(2)』では城域に含まれています。発掘調査は行われたのか気になるところです。

名木城主要部は無事でしたが、圏央道予定地は城館の多い場所を貫くので他も確認せねばなりますまい。
 

ベリカードコレクション:JJY

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 6月 3日(火)21時23分34秒
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  前回の記事で紹介した自作長波受信用クリスタルコンバータを使用してJJYを受信しベリカードを戴きました。かつてBCL少年だった頃、短波JJYでもベリカードを貰えるのは知っていたのですが、受信報告書を送ったことはありませんでした。今思えば送っておけばよかったと後悔しています。今回は長波を受信してのカード獲得です。

情報通信研究機構 (NICT)から2枚のベリカードを戴きました。40kHzと60kHzで別々のカードを発行してくれます。

40kHzのおおたかどや山標準電波送信所(福島県田村市)は東日本大震災の際、原発事故の避難指示を受け職員が退避し停波。その後、再開するもアンテナへの落雷で再び停波が続いていました。東日本では電波時計が自動補正出来ない現象が起きていたのでした。普段あまりJJYの恩恵なんて感じることはありませんが、停波するとその有り難みを感じるものです。
 

長波受信用クリスタルコンバータの製作

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 6月 2日(月)22時19分25秒
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  JJYと言うのをご存知でしょうか。日本標準時を電波を使って放送している無線局で情報通信研究機構 (NICT) が運用しています。かつては短波で送信されていたので簡単に受信できたのですが、現在では長波のみになってしまいそう簡単には受信出来なくなってしまいました。

現在、JJYは40kHz(福島県田村市)と60kHz(佐賀県佐賀市)の2波が発射されております。電波時計はこの電波を受信して自動で校正しているのです。

さて、長波を受信できるラジオというのは少なく、私も長波を受信したことはありませんでした。無いのなら作ってしまえと言うことで、今回はクリスタルコンバータを製作してみました。

クリスタルコンバータというのは水晶発振子を利用して受信した電波を別の周波数に変換する装置のことを言います。今回は28.0MHzの水晶発振子を用い、長波を28MHz帯に変換します。28MHzなら短波用アマチュア無線機で簡単に受信できます。

参考にした回路は次の二つです。

(1) http://damekko.net/modules/pico/index.php?content_id=2

(2) http://www2.jan.ne.jp/~jr7cwk/radio/lwjjyrx/lw_jjy.html

基本の形は(1)で高周波増幅回路に(2)のものを組み込みました。なんとオペアンプを高周波増幅に用いています。長波だからこそ出来る技です。アンテナはAMスーパーヘテロダインラジオ用のバーアンテナです。これにセラミックコンデンサを付け替えて同調をとります。コンデンサの容量は案外いい加減でも受信できます。アマチュア無線機のTS-530Vに接続して周波数を28.040MHzに合わせるとピーピーという規則的な信号が聞こえて来ました。コンデンサを変え、28.060MHzに合わせると弱いながらも佐賀局も聞こえます。

初めて聞く長波無線は感動的であります。ロシアに長波ラジオ放送があり日本でも夜間なら聞けると聞いていたので楽しみしていたのですが、最近どれも廃局になってしまったようです。目的のJJYは受信出来たのでさっそく受信報告書を送ってみました。
 

戦車の街、大洗町

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 5月30日(金)19時17分7秒
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  白河市へ向かう途中、アニメ「ガールズ&パンツァー」ですっかり有名になった大洗町に寄ってみました。寄ったと言っても訪問したのは大洗駅だけです。

アニメで登場するシーンを写真に収めて来ました。大洗町でのイベントでは陸自が本物の戦車(10式とか)を展示しているそうですが、ここは是非とも武器学校(阿見町)の八九式中戦車に出動を! (駅前に置かれているのが八九式)

駅舎内の観光案内所に入ってみたら、そこはすっかりガルパンの世界。(一番下の写真) その他、町中にガルパン関連のポスターや幟が掲げられていたりと大洗町全体で盛り上げようとしています。この街の人達はガルパンが好きなんだな、と感じたのでありました。
 

凸小峰城(白河市郭内)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 5月29日(木)19時03分51秒
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  日本百名城の一つ小峰城です。今回で4回目の訪問です。

東日本大震災であの美しい石垣が崩れたと聞いていましたが、現在その復旧作業が行われております。(写真上)

工事中なので本丸には入れません。国指定史跡なので石垣といえどもいい加減な修復は許可されず、時間をかけてやっているのでしょう。城に裏側(北側)に崩落した石垣が並べてありました。(写真中) それぞれ番号が書かれております。これをジグソーパズルのように組み直すことを考えると気が遠くなります。

崩落を免れた石垣もありますが、よく見ると石垣の隙間が大きくなってしまっているのが判ります。(写真下)
 

●稲荷山古戦場(白河市九番町西裏)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 5月28日(水)22時21分21秒
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  戊辰戦争、白河口の戦いの激戦地跡です。稲荷山は小峰城より南南西約1.8kmの位置にあり、奥州街道(現、国道294号 写真上)は、この丘の下を回り込むように通っています。しかも稲荷山へと向かう奥州街道は両脇を水田に挟まれた一本道なので、大軍による突入は不可能、守る側は各個撃破が可能なので、北上する新政府軍(以後、西軍)を食い止めるには絶好の位置にあります。

さて、現在の稲荷山は南側の斜面に数段の削平面が残されています。(写真中) おそらくここに奥羽列藩同盟軍(以後、東軍)が布陣して、目前の奥州街道を突破しようとする西軍に銃撃を加えたのでしょう。削平面があるだけで堀、土塁、塹壕のようなものはありまん。写真の赤矢印は小丸山で西軍はそこに布陣し稲荷山へ砲撃を加えたそうです。距離は1kmほどなので西軍の主力火砲である四斤山砲(射程2600m)で十分到達します。

山頂には東軍の白河口総督だった西郷頼母(会津藩家老)の歌碑があります。(写真下)

白河口の戦いでの両軍の兵力は東軍2500に対し西軍はたったの700程度だったと言われています。西軍はその兵力差をものともせず、稲荷山の東軍を撃破し小峰城の奪取に成功しています。東軍の戦死者が約700名だったのに対し西軍はわずか20名だったそうな。西軍は圧倒的ではないか。地の利、兵力共に東軍が有利だったのに何故大敗したのか。東軍のリーダーシップ欠如、西軍の優勢な火力、東軍の作戦ミス(兵力の逐次投入)等の理由が考えられていますが、この辺をしっかり調査してみると面白いことが判ってくるかもしれません。
 

凸新地山館(白河市借宿)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 5月27日(火)19時46分57秒
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  新地山館は比高約90mの山上に築かれた山城です。山頂が主郭でそこには羽黒神社が鎮座してします。社殿や参道で破壊されている遺構も多いようです。それにしてもこの羽黒神社の参拝者はそれ相応の体力が必要で、とても地元の人が気軽にお参り出来るようなものではありません。かつてこの山は松茸の産地で白河藩主は代々松茸狩りを行いそれを幕府に献上していたそうな。

城域はかなり広範囲で大量の兵員を収容出来たと思われます。当城は白川結城氏の佐竹氏に対する最終防衛拠点とも言われており、「新地山」「借宿」という名称は何かに迫られて急造したことを示唆している気がします。白川結城氏の本城、白川城からたったの6.3kmしかないこの地で決戦を迎えようとしていたとしたら、白川結城氏の緊迫感は相当なものであったことでしょう。
 

凸高野館(白河市東栃本)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 5月26日(月)20時49分8秒
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  多分「こやだて」と読むのだと思う。比高約20mの丘に築かれた丘城で、1辺約50mの単郭方形の構造です。単郭方形と言っても単純ではなく所々、折れや横矢がかかっています。圧巻なのはその周囲に構築されている堀で最大堀幅は約10mもあります。

主郭内部に石碑があり、「高野館主結城栃下廣正公跡」と書かれております。(写真下)
 

凸三森館(白河市表郷三森)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 5月25日(日)19時22分24秒
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  三森館は比高約55mの山上に築かれた山城です。当城は一点豪華主義というやつで、明瞭な馬出があります。主郭の虎口前面に5m四方ほどの小空間がありその周囲は堀で囲まれてします。2枚の写真は共にその馬出の様子ですが、判りにくいので加工しました。

主郭内は削平が甘く、とても建物が建てられる雰囲気ではありません。長期に渡り当城を維持していたようには思われず、短期にその使命を終えたと思われます。
 

牛久城の危機?

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 5月22日(木)19時34分23秒
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  先日貰ってきた常陽新聞(5/10付)のトップニュースに「国道6号バイパス 土浦、つくば2区間 今年度から事業着手」という記事が載っておりました。(写真上)

その地図をつらつら眺めておりますと、そのバイパス、なんと牛久城あたりをぶち抜いているではないですか。しかも赤い部分は今年度から整備事業が始まる区間だそうな。

牛久城はどうなっちゃうの? と心配になったので現地に飛んでみました。(写真下:3曲輪の辺り) じっくり見てきた訳ではありませんが、今のところ工事が始まっていたり工事予定を示す看板等も見当たりませんでした。

建設予定地が何処なのか、気になって調べているとこんなのを見つけました。

http://www.ktr.mlit.go.jp/jousou/ushiku-meguru.html

「起点付近(遠山)」とタイトルの付いた航空写真をご覧下さい。これを見る限り、大手門跡のちょい北側を東西に貫通させる予定っぽいです。これなら牛久城の遺構が破壊されることはなさそうです。茨城県屈指の名城を破壊するのだけはやめて頂きたいものです。
 

ベリカードコレクション:ロシアの声

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 5月19日(月)19時18分41秒
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  ロシアの声はロシアの短波放送でかつてはモスクワ放送と言う名称でした。当時はソビエト連邦のプロパガンダそのものでしたが、近年はソフトなものとなっています。

私がBCL少年だった頃、日本語海外短波放送で最大勢力を誇っていたのがモスクワ放送で、短波ラジオのチューニングつまみを回せば何時でも何処でも聴けるような状態でした。最近はだいぶ規模が縮小されて心配していたところ、とうとう先月、日本語放送は休止状態になってしまいました。

受信報告書を送ったのが今年1月でベリカードが送られてきたのは5月でした。かなり際どい時期にベリカードを獲得したようです。
 

ベリカードコレクション:イラン・イスラム共和国国際放送

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 5月17日(土)19時08分49秒
返信・引用
  私がBCL少年だった頃、当局の日本語放送はありませんでした。日本語放送開始は1999年です。私がBCLを再開して数少ない新手の放送局です。

放送内容は局名から推測できるようにイスラム教色の強いものです。ここの管理人はイスラム教に全く馴染みがありませんが、放送を聞いていると知らないことが多くて案外楽しめました。

当局はベリカードの返信が遅いと聞いていたので覚悟はしていましたが、私の場合約4ヶ月かかりました。
 

ベリカードコレクション:ラジオNIKKEI

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 5月16日(金)20時40分2秒
返信・引用
  私が昔BCLをやっていた頃は「日本短波放送」という名称でした。その後「ラジオたんぱ」を経て現在の「ラジオNIKKEI」に至っております。世界で唯一の民間短波放送局だそうな。放送内容は株式と競馬関係に特化しています。

放送所が千葉県長生郡長柄町にあるので、我が家でもクリアに聴取することが出来ます。
 

成田国際空港探訪(成田市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 5月14日(水)23時18分22秒
返信・引用
  成田空港内を見学してきました。かつては見学不可でしたが、今では簡単に入れて貰えます。

写真中は第2ターミナル見学デッキ(南)からの風景。ここから滑走路はほとんど見えませんが、間近に駐機中の機体はよく見えます。ケロシンの燃えた臭いが漂ってきます。

写真下は第1ターミナル展望デッキからの風景。こちらは目前がA滑走路なので離発着する飛行機がよく見えます。離陸中なのはピーチ機です。(実物を見るとあのピンク色の機体は凄い!)
 

小金中野牧野馬土手(鎌ヶ谷市初富)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 5月13日(火)21時29分59秒
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  捕込があるくらいですから野馬土手も残っています。写真は捕込から北東300mあたりにある野馬土手。鎌ヶ谷総合病院駐車場脇にあり、現在でも隣接地との境のフェンスとして役だっています。長さ250m、高さ2mほどです。この場所以外にも小金中野牧の野馬土手は残っているそうです。こんな市街地に野馬土手が残存しているのは奇跡的なので、是非とも大切にしていただきたいものです。

さて地名の「初富」ですが、これは面白い由来があります。江戸時代、牧だった土地は民間に払い下げられて開墾され、その地名に順番通りの漢数字が入れられました。1番目だったのがこの「初富」です。(初は漢数字じゃないけど) 2番目は二和(船橋市)3番目は三咲(船橋市)と続きます。我が香取市の九美上は9番目です。現代だと「1号」とか「1番」等の味も素っ気もない地名にしがちですが、粋な明治人のネーミングセンスは抜群で中でも秀逸なのは4番目の豊四季(とよしき:柏市)ではないでしょうか。地名を聞いただけで住んでみたくなるではありませんか。
 

小金中野牧捕込(鎌ヶ谷市東中沢)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 5月12日(月)19時38分0秒
返信・引用
  当遺跡は近年発展著しい、新鎌ヶ谷駅地区にあります。牧としては唯一の国指定史跡だそうな。市街地にあるので一部は破壊されていますが、かなりでかいです。最も高い土塁は4mもあり、そんじょそこらの城の土塁よりも立派です。

見学できる場所が一部だけなのが少々残念です。全部見ようとすると民家の敷地内に入らなくてはいけなかったりするのでその辺は仕方ないですね。

写真下はすぐ近くにある貝柄山公園内の馬の像です。親子三頭の仲睦まじい姿をしております。
 

シフトシャフトオイルシールの交換

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 4月27日(日)18時59分24秒
返信・引用
  2ヶ月ほど前よりXLR号のエンジン下部からオイル漏れをするようになってしまいました。去年11月、クラッチレバーCOMP交換した際にRクランクケースカバーを開けたのでそこの密閉不足が原因と考え、それを何度か締め付け直しても全く効果無し。じっくり観察してみると、漏れ出し箇所はシフトシャフトオイルシールでした。(写真上) 滴っているオイルがご覧いただけます。

シフトシャフトというのは「ギアチェンジペダルの軸」です。この付け根からオイル漏れしないようにオイルシールが取り付けられているのですが、今回はそれが劣化した模様です。

さっそくこいつを交換。お値段は約300円。写真中は取り外した状態。シフトシャフトに段付きが生じているので、本当はシフトシャフトごと交換しないとダメかもしれませんが、今回はオイルシールのみの交換で誤魔化します。

写真下は取り除いたシフトシャフトオイルシール。突き刺さった木ネジは取り外し易いようにねじ込んだものです。

これで様子を見てみましょう。
 

雑音発生器の製作

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 4月17日(木)19時20分50秒
返信・引用
  またの名をノイズジェネレーターとも言います。「なんでわざわざ雑音なんて作るの?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。私もこの存在を知ったときそう感じました。雑音を発生させるだけでは何も出来ませんで、ラジオやオーディオ機器に雑音を入力しその機器の特性などを計測する場合に用います。

製作にあたりこちらの回路をそのままコピーさせて貰うつもりでしたが、上手くいかなかったのでいろいろ改造を加えてあります。

http://nobunozakki.blog.fc2.com/blog-entry-57.html

雑音の発生源はUTC製の2SC1815Lです。本家東芝製より盛大に雑音をまき散らしてくれます。いろいろ実験をしたところ、エミッタ-ベース電流が10μA~300μAが最も雑音が大きいことが判り、その範囲内に収まるようにFETを用いた定電流回路で制御するようにしました。

簡易的なものなので、あまり高い周波数の雑音は発生できませんが、50MHzくらいまでは十分使えます。
 

神崎インターチェンジ(千葉県香取郡神崎町)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 4月15日(火)19時28分7秒
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  今月12日に圏央道、神崎インターチェンジが供用開始されました。近所に高速道のインターが新設されるのは嬉しことです。我が家から神崎ICまでは12kmほどの距離ですが、信号はたったの3箇所しかないのでもっと身近に感じます。

現在、圏央道はつくば中央までしか繋がっていませんが、来年中には中央道、関越道と接続する予定だそうで、今から楽しみにしております。東京を迂回できるのは実に有り難いのです。
 

FMラジオ用プリアンプ

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 4月13日(日)21時06分22秒
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  プリアンプとはアンテナで受信した電気信号を増幅して受信機へ送る装置です。テレビ用だと「ブースター」と言ったりします。以前FMラジオ用アンテナを製作したものの、それでもやはり感度不足なので、それをこの装置で補ってやろう言う魂胆です。回路はこちらのものをほぼコピーさせて戴いております。

http://iyo.ojaru.jp/gaiya.html

変更点は

FET 2SK439->2SK241Y
トリマコンデンサ 35pF->30pF

の2点です。筐体は100円ショップの灰皿を利用しました。

さて肝心の性能はというと、増幅はしてくれるものの微々たるものです。測定器を持っていないので実数値は測れないのですが、多分、10dBもないような気がします。2SK241の電力利得は28dBもあるはずですが・・・。まあ、雑音は小さくなるので聞き易くはなります。
 

【頓挫】妻木城(岐阜県土岐市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 4月 8日(火)19時12分23秒
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  【頓挫】妻木城(岐阜県土岐市)

この日、最後に妻木城を訪問する予定でした。今回の旅で唯一再訪なのはこの妻木城だけです。再訪に値するほどの価値がある城です。

ところが林道を走って行くとなんと倒木が行く手を塞いでいるではありませんか。(写真上) ここに駐車して徒歩で向かうにも片道約2km、迂回するにもかなりの遠回り。しかも時刻は17:00。雪でこんなだし・・・。(写真下) ここは諦めて帰路につくことにしました。

妻木城は残念でしたが、沢山の良い城に巡り会えた東美濃の旅でした。
 

小里城(岐阜県瑞浪市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 4月 7日(月)19時47分22秒
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  今回の旅で最も比高差のある山城です。山麓からの比高は約180m。朝から山城ばかり登ってきたのでこの時点でもうヘトヘトでした。

小里城は1532年頃、土岐一族の小里光忠が築城しその後、小里氏の居城となりました。天正2年(1574)、織田信長は武田勢に対抗するため、この城に池田恒興を配して当城の改修をさせました。この時、山上に天守台が築かれたという。本能寺の変後、小里氏は徳川家康を頼ってこの地を去りますが、関ヶ原の合戦で軍功を挙げ旧領を回復し山麓に居館(御殿場)を構えたと考えられています。元和9年(1623)、小里氏は断家され小里城も廃城されました。

さて小里城の構造は山麓部の「御殿場」と山上部の「本丸」の二つに別れます。山麓の御殿場は石垣造りの立派なものです。(写真上) ただ、全く戦闘的ではありません。関ヶ原合戦後の小里氏の石高は4000石弱だったのでこの程度の陣屋で十分だったのでしょう。

その御殿場から更に登っていくと山上に「本丸」があります。(写真中) 本丸には「枡形」と呼ばれる天守台があります。(写真下) 本丸周辺には「二の丸」「三の丸」の看板がありますが、それらを区切るものは何もありません。山上には見事な天守台がある割に、その周辺は巨石がゴロゴロしているだけです。とにかく巨石のせいで居住性が低く、ここが曲輪だったとは思えないほどです。天守台は不等辺多角形で一体どんな天守が乗っていたのかと首をひねってしまいます。(写真下)

山上の遺構は何かと謎が多いです。天守台隣りの石碑にヒントが隠されておりました。その石碑は昭和29年に地元の顕彰会が建立したもので次のようなことが書かれております。「自来四百余年風雪にさらされ草にうずもれて影もなかったのを村民有志は本城の清掃枡形の復元を思いたった(中略)工人成瀬国平に依頼して石垣の修復をしたものである」とあります。「影もなかった」のを昭和29年に地元民によって復元されたのだという。この復元作業にあたり、検証がどのくらい行われたのは不明ですが、「影もなかった」状態から素人衆の手によって「復元」されたことは確かです。「模擬天守台」くらいに考えておいた方がよさそうです。

ちょっと問題が残る小里城ですが、他にも要所要所に石垣が構築され見応えのある山城でした。
 

鶴ケ城(瑞浪市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 4月 3日(木)19時04分56秒
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  鶴ヶ城は比高約100mの山上に築かれた山城です。鎌倉時代初期に土岐光衡が築城したとされています。(ホント?) 土岐氏の居城であったことは間違いなく、その後、織田信長の手中に落ち彼の東美濃支配の拠点となりました。甲州征伐(天正10年)の際、信長は当城に宿泊し甲斐に進軍したそうです。

山自体が急峻なので縄張りには拘らなかったようで、平坦地を何面か削り出した構造です。技巧性はあまり感じられませんが主郭背後の堀切だけは圧巻です。(ひょっとして自然地形?)
 

一日市場館(瑞浪市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 4月 1日(火)23時40分32秒
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  中世において万木城(いすみ市)、江戸崎城(稲敷市)、龍ヶ崎城(龍ヶ崎市)と関東にも勢力を伸ばしていた土岐氏ですが、その本流は美濃にあります。

平安時代後期、清和源氏が美濃土岐郡に土着し、土岐氏を称したのが始まりで、その土岐氏発祥の地とされているのがこの一日市場館です。

当館は鎌倉時代の居館なので城らしさはほとんどありません。現在は神社となっていて裏手に土塁のようなもの(写真中)がありますが、本物の土塁かどうかは怪しいです。境内には土岐氏の一族、明智光秀の石造(写真下)が建立されております。世間では極悪人にされがちな光秀ですが、当地では慕われているようです。
 

千村氏屋敷(岐阜県可児市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 3月28日(金)19時28分48秒
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  久々利城見学の際、可児郷土歴史館の駐車場をお借りしたのですが、その際たまたまこの標柱を発見し取り敢えず写真を撮っておきました。千村氏って一体誰?

帰宅して調べると意外な事実を知ることになりました。千村氏は木曽氏の家臣だったそうで、木曽義昌が下総國網戸(千葉県旭市)に移封された際、千村良重は一緒に網戸についていったそうな。木曽家が改易されると良重は浪人となったが、関ヶ原の戦いの際に徳川家康に与し軍功を上げたため、土岐・可児・恵那郡内の4400石を知行し、この久々利に屋敷を構えたとのこと。

なんと旭市の網戸城縁の人物だったとは! 世間は意外と狭いものです。

標柱後ろの石垣はその千村氏屋敷の本物の石垣だそうです。てっきり最近のものかと思い込んでおりました。歴史館の裏にはもっと凄い石垣が残っているとか。
 

上高津貝塚ふるさと歴史広場考古資料館(土浦市)のテーマ展

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 3月27日(木)21時05分59秒
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  ただ今、上高津貝塚ふるさと歴史広場考古資料館(土浦市)のテーマ展にて茨城城郭研究会の仲間、故石﨑氏が発見した手野新堀遺跡の発掘成果が展示されています。

http://www.city.tsuchiura.lg.jp/page/page005432.html

彼が持てる情熱を傾け続けた遠堀の発掘成果展示となっていますので、どうぞ足をお運びご覧下さい。
 

久々利城(岐阜県可児市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 3月25日(火)22時56分14秒
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  久々利城は比高約60mの山城です。主要部は綺麗に草木が刈られているので非常に見やすいです。やはり薮のない城は素晴らしい!

本丸へ至る通路が大量の枯れた竹で塞がれていました。看板があって見ると実験的に竹の繁殖を抑えるために枯らす薬剤を注入しているのだとか。竹藪を駆逐するのは有り難いですが、枯れて倒れた竹をそのまま放置して通行の邪魔にするのはどうにかして欲しいものです。

そんな訳で本丸へは通常ルートは使えず、二の丸から切岸をよじ登って突入しました。写真中の斜面がそれ。

あと、三の丸の一段下の曲輪はなかなか興味深い遺構でした。囮虎口のようなものがあったり(ひょっとして馬繋ぎ場?)、建物内を通過して三の丸虎口へ至る経路など珍しい構造をしております。
 

大森城(岐阜県可児市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 3月24日(月)20時25分52秒
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  大森城は比高約20mの台地上に築かれた丘城です。

現地に案内板に概念図が載っているのですが、実際はその図よりはるかに複雑な縄張りを持っています。何度も屈曲を持った塁線や大規模な横堀は見事です。ただ、薮が酷くて技巧的な遺構もよく観察出来ないのが残念です。薮さえなければ、縄張図を描きたくなるような城でした。
 

明智長山城(岐阜県可児市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 3月23日(日)18時28分23秒
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  可児市は明智氏発祥の地であの明智光秀はこの明智長山城で産まれたそうな。

麓の光蓮寺から登城路を登っていくと、いかにも「これから城内へ」といういい雰囲気を醸しております。(写真1) 比高約60mを登り切るといよいよ城内です。そこには一応「本丸」(写真3)とか「二の丸」といった標柱があるのですが、堀や土塁の類はありません。曲輪内の削平も甘くこれも曲輪っぽくありません。正直言うと「本当にこれは城なのか」と疑念を抱いてしまいました。

「明智氏発祥地可児市」「光秀生誕地可児市」という幟は沢山立っております。(写真2) 城っぽくないところをなんとかしたかったのか、あり得ない場所に馬防柵と逆茂木が再現されております。(写真4) 可児市の心意気は伝わって来るのですが、こうも遺構が乏しいと・・・。
 

金山城(岐阜県可児市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 3月21日(金)22時49分55秒
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  金山城は比高約170mの山上に築かれた山城です。かなり急峻な山で徒歩での登城は大変そうですが、有り難いことに城域まで車で登っていけます。

築城者は斎藤正義(斎藤道三の猶子)で、その後の城主は土岐氏、森氏等へと移っていきます。駐車場に森蘭丸の幟が立っていましたが、彼が城主だった時期もありました。

現在の遺構がいつの時代のものかは判りませんが、中世の山城というよりは近世城郭の風格があります。しっかりした石垣、枡形等は織豊系城郭の萌芽を感じさせます。

写真上は大手枡形です。とても山城のものとは思えないほどの大きさです。往時はさぞかし壮大だったことでしょう。写真中は本丸の枡形。こちらは小振りですが、石造りなのでしっかりしています。写真下は本丸東側の一段下がった曲輪。石材で区画がされているので、何らかの重要な施設があったことが想像されます。

なかなか素晴らしい城でした。
 

大洞城(岐阜県関市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 3月17日(月)20時11分49秒
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  大洞城は比高約120mの山上に築かれた山城です。縄張りは単純ですが、石積みが魅力的です。写真上は主郭を取り巻く石積み、写真中は第一の門があったと思われる場所です。

山麓の一柳神社から谷筋を登っていくのルートがあるのですが、あろうことか、その通路を覆い尽くす大量の間伐材が放置されていました。前夜に大雨が降ってぬかるんでいる上、間伐材の通せんぼせいで大変な思いをして登って行きました。山頂付近まで達するとなんと大がかりな道路建設中!(写真下) ゆくゆくは着到曲輪まで車で登れるようになりそうです。

帰りは間伐材地獄を突破するのが嫌だったので、この建設中の道路を歩いて降りました。楽には楽なのですが、2kmほども遠回りをするハメになってしまいました。
 

うだつの上がる町並み(岐阜県美濃市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 3月15日(土)19時19分7秒
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  小倉山城の城下には「うだつの上がる町並み」があります。車を走らせていて観光案内の看板が目に止まったのでちょっと寄ってみました。

「うだつの上がらない・・・」という慣用句がありますが、「うだつ」とは隣家からの延焼を防ぐための防火壁のことを言います。うだつがある家屋はそれなりの資産家とみなされることから、生活や地位が向上しないことを「うだつの上がらない」と称されるようになったそうな。(別説あり)

写真下は小坂家住宅(国指定重要文化財)のうだつ。うだつの上に破風瓦を設けた立派なものです。
 

小倉山城(岐阜県美濃市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 3月14日(金)19時11分4秒
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  名古屋オートトレンド見学の後、岐阜県の城巡りをしてきました。

小倉山城は織田信長の家臣として有名な金森長近の隠居城として1605年に築城されました。長近の死後1611年に廃城になっているので城として機能したのはたったの6年間でしかありません。その後、この地は尾張藩の所領となり小倉山城跡に代官所が置かれたそうです。

写真をご覧の通り、石垣が見事な近世城郭です。これを見て期待を増幅させたのですが、土塁もなければ堀もありません。縄張りも貧弱です。石垣だけが立派で「本当に城なのか?」という印象を受けます。

長近が当城を築城したのは81歳の時。もうこの城で戦う気など毛頭なかったのでしょう。隠居城というよりは「豪華な隠居屋敷」ってところでしょうか。
 

雪の箱根越え

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 3月11日(火)22時30分42秒
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  名古屋へはほとんど一般道を利用したのですが、その道中、箱根あたりの雪が凄かったです。写真は箱根関址付近の様子です。

路面は除雪されて車の運行に支障はないのですが、その両脇の歩道の辺りは人の背丈ほどの雪が積もっております。雪が滅多に降らない千葉県に住んでいるここの管理人は、こんな凄い雪を見たのは初めてだったのでつい写真を撮ってしまいました。
 

レースクイーンのサイン

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 3月10日(月)19時24分6秒
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  上写真はサーキットで撮影したかのような絵面ですが、名古屋オートトレンドの東洋タイヤブースです。この時、彼女からステッカーを戴いたのですが気にも留めずバッグの中に放り込んでおきました。家に帰ってよく見るとなんとサイン入りではないですか!(下写真)

調べてみると彼女らは戸崎奈津さん(左)と阿川麻美さん(右)とおっしゃるそうな。本物の東洋タイヤレースクイーンです。

http://toyotires-drift.net/race-2014/1272.html

レースクイーンのサインなんか貰ったことないのに、しかも知らぬ間に所有しているという奇妙な体験をしたのでありました。
 
 

名古屋オートトレンド2014

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 3月 9日(日)21時46分50秒
返信・引用
  に行って来ました。コンパニオンさんに写真を撮らせて貰ったら「その写真をネットにアップして下さい」と頼まれたので、お望み通りアップいたします。

以前もそんなことがありました。ネットにアップされると言うことは出展者やコンパニオン自身の宣伝にもなるということなのでしょう。中には「撮影禁止!」というブースもあるのですが、各社それぞれの考え方があるということなのでしょう。
 

パソコンの復旧

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 3月 8日(土)19時38分10秒
返信・引用
  2週間前からメインで使用しているパソコンが起動しなくなっていたのですが、このほどようやく復旧させました。主な原因はハードの不調(電源装置とかHDDとかSATAインターフェイスとか・・・)で、何度も突然のシステムダウンを繰り返しているうちにソフトウエア的にもめちゃくちゃになってしまい、とうとう起動もしなくなってしまいました。こうなるとクリーンインストールしか方法はなく、長年使い続けたメインパソコンの諸々のアプリケーションや設定は泣く泣く破棄することにしました。データは残っているものの、この喪失感は甚大です。

当該パソコンのOSはWindowsXPなんですね。1ヶ月後にサポート終了なのですが、まだ使い続けております。クリーンインストールをしていて気づいたことは初期のWindowsXP(spなし)だと起動時間がびっくりするくらい短時間だということです。sp2,sp3へとバージョンアップするにつれてどんどん時間がかかるようになっていきます。sp3は初期XPに比べると10倍くらいかかっているような気がします。

クリーンインストール後は必要最小限のアプリケーションしか入れておりません。そのせいか、以前より随分軽くなりました。あと、外付けHDDが認識しないとかその手の不具合も直ってしまいました。クリーンインストールは喪失感も大きいですが、得るものも大きいですな。

さて、サポート終了するXPをどうしようか思案のしどころです。
 

数値の訂正

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2014年 2月23日(日)23時19分16秒
返信・引用
  「簡易インダクタンスメータの製作」の記事内においてコンデンサ容量の間違いがあったので訂正させていただきます。

× 0.46uF
○ 0.046uF
 

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