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榛名山と伊香保温泉

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2011年 7月13日(水)21時26分48秒
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  前記事の染谷川古戦場巡りは\1000高速が終了するのを機にバイクで出掛けて来たのですが、ついでにツーリングっぽいこともして来ました。

まずは榛名山。榛名山は2回ほど行っているのですが、いずれも濃霧及び雪で何も見えない状態で悔しい思いをしておりました。今回は妙見菩薩のご加護か、ご覧の通り美しい榛名湖と榛名富士を楽しんで来ました。(写真上) 赤い花はツツジです。知らなかったのですが、ここ榛名山はツツジが有名なのだとか。

写真下は榛名山山腹から眺めた伊香保温泉です。宿泊はしませんでしたが、日帰り温泉に入り心身を癒して参りました。

それと前記事の染谷川古戦場の場所を記し忘れていたので、改めてご案内します。染谷川古戦場、妙見寺は「群馬県高崎市引間町」にあります。

 
 

千葉氏妙見信仰の聖地

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2011年 7月12日(火)19時47分6秒
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  千葉一族の城址には今でも妙見神社が残されているが多いことからも、千葉一族の妙見信仰は有名ですが、その発端になった出来事をご存知でしょうか。「紙本著色千葉妙見大縁起絵巻」などに記されているので簡単に説明を。

「紙本著色千葉妙見大縁起絵巻」はこちら。その時の様子が描かれております。

http://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/shogaigakushu/kyodo/emaki.html


千葉氏の先祖である平良文は甥の平将門と共に叛乱を起こし上野国の国府を襲撃します。ところがそれを迎え撃った平国香と国府近くの染谷川にて激しい戦闘に突入しました。七日間の戦闘の末、良文勢は僅か七騎まで減じ敵軍に包囲され絶体絶命の窮地に陥り、神仏に助けを乞うたところ、戦場すぐ近く七星山息災寺の本尊、妙見菩薩が示現したのです。妙見菩薩は矢を拾い、それを良文の七騎に射させたところ、無数の剣の雨となって敵勢に降り注ぎ壊滅させたのです。これにより良文勢は大勝利を得、この後、妙見菩薩を厚く信仰するようになったとのこと。

実はこの伝承、眉唾物とも言われています。というのも、史実では将門が上野国国府を襲った時、すでに叔父の国香は将門によって殺害されているからです。良文が将門とともに上野国国府を襲ったというのも事実かどうかは判っていません。


その染谷川古戦場と七星山息災寺(現、妙見寺)に行って参りました。写真上は染谷川です。このあたりが合戦場だったそうで、写真右奥に見えるお堂が妙見寺です。

写真下は妙見寺本堂。寺なのに神社様式に見えるのは神仏習合の名残です。

この近くにある「上野国分寺館」の学芸員さんに上記の伝承を伺ったところ、
「将門が国府を襲撃して染谷川で合戦になったことは地元の人なら誰でも知っている。戦死者の血で真っ赤に染まったことから『染谷川』と名付けられた。良文が参戦していたことと、妙見菩薩が示現したことは知らない」
と言うことでした。というわけで満更眉唾物とも言えないようです。
 

第四級海上無線通信士

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2011年 5月10日(火)18時57分57秒
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  第四級海上無線通信士は海上関連の無線設備を操作出来る資格です。要するに船舶等の通信士ということになりますが、四級では国際通信は出来ないので国内だけとなります。

今まで私が取得してきた無線従事者免許は全て「~~無線技士」なのですが、唯一「通信士」なのがこれです。そんな訳でちょっとカッコイイ資格でもあります。

試験内容も海上無線と言うことで遭難通信等がよく出題されるのですが、果たして私がマイクに向かって「メーデー!メーデー!」なんて叫ぶ日が来るのやら?
 

第一級陸上特殊無線技士

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2011年 5月 9日(月)22時00分5秒
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  数ある特殊無線技士の中でずば抜けて難易度が高いのがこの第一級陸上特殊無線技士です。私の受けた無線従事者試験では最も難関でした。

当資格はマイクロ波を用いた多重無線設備の操作が出来ます。巨大な鉄塔にパラボラアンテナが設置されているのをよく見かけますが、あれです。その他、衛星通信、陸上レーダー、陸上移動系無線(警察無線とかタクシー無線とか)などの操作も出来ます。

23ある無線従事者で最も人気があるのが当資格でして、全無線従事者試験の受験者47854名に対し当資格受験者はなんと14064名(平成21年度)と際立って人気が高いのも特徴です。どうして人気があるのかは判りませんが、私が受験した時も200人くらい入る大部屋で行われました。
 

航空特殊無線技士

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2011年 5月 8日(日)19時16分58秒
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  無線従事者免許は全部で23種類あります。そのうち4種類がアマチュア無線技士で残りは全てプロ用免許となります。「プロ用の無線従事者試験はアマチュア用よりもずっと難しいはず」と勝手に思い込んでいたのですが、ネットで既出問題を探して解いてみると、それほど難しくないのもある。ならば取ってしまおうと最初に選んだのがこれ。

航空特殊無線技士とは自家用航空機無線設備などを操作するために必要な資格です。要するに自家用セスナ機等のパイロットなら必須の代物です。これで私も憧れのパイロット!、と言いたいところですが、この資格を持っているだけでは航空機の操縦は出来ません。

学科試験はとても簡単で試験時間1時間のところ、6分くらいで終わってしまいました。電気通信術(電話:欧文暗語)の試験もありますが、これはアマチュア無線家であればどうってことのないものです。そのせいか、試験場では数人の中学生も受験に来ていました。
 

第2級アマチュア無線技士

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2011年 5月 7日(土)22時20分33秒
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  アマチュア無線技士免許は随分昔に電話級と電信級(現4級と3級)を取得していまして、いつかは憧れの2級を、と狙っていましたが、試験が難しいのでなかなか受ける気も起こらなかったのでありました。

ところが、調べてみるといつの間にかかなりハードルが下がっておりまして、電信級を持っていれば電気通信術(モールス)の試験が免除されることになっているではないですか。これはチャンスとばかりに勉強を開始。対数計算の問題などが出題されるのですが、もうそんなものはすっかり忘れてしまっているので、ラジオ講座を聴いて復習することに。まるで高校生になった気分でした。そんな甲斐もあってか合格することが出来ました。

3級だと送信出力は50Wまでなのですが、2級だと200WまでOKです。とは言うものの、所持しているトランシーバは古いものしかないのでたったの10Wしか出せません。これでは大型自動二輪の免許を持っているのに原付で走っているようなものなので、ちょっと情けないです。
 

ラジオ・音響技能検定3級

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2011年 5月 5日(木)19時52分18秒
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  去年の秋からいくつか検定や資格に挑んでみました。手始めに選んだのがこれ「ラジオ・音響技能検定3級」。ラジオ・オーディオ機器などアナログ回路の知識と技能を検定するものです。元ラジオ少年には打って付けの検定と言っていいでしょう。電子工作を趣味としている私としては自分のスキルがどれほどのものか試したいという気持ちもありました。
1級から4級まであるのですが、手始めと言うことで挑んだのは3級。結果は見事合格だったのですが、ちょっと物足りなく2級を受けておけば良かったと少々後悔しております。でも、久し振りに受けた試験はなんとも懐かしい感じがしてそれだけでもいい体験となりました。
 

ミニアンプ2題

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 5月31日(月)19時35分15秒
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  またオーディオアンプの製作です。でも今回はいつもとはちょっと趣向が違います。今まで製作したアンプは全てパワーアンプICを使用したものでしたが、今回はディスクリート部品で作ってみました。ディスクリート部品とは集積回路(IC等)ではなくトランジスタなどの単体部品のことを言います。安易なICに頼らず基本に戻ってトランジスタで組んでみようと言う魂胆です。

初め、教科書を読みながら2石A級動作シングルアンプを設計し、仮組みまでしたのですが、あまりの効率の悪さにこいつの正式採用は断念しました。ネットで探すとお誂え向きにプッシュプルB級アンプの作例がみつかりましたので、それらをほぼ踏襲して製作してみました。

ミニアンプ1はこちらを

http://www.hct.zaq.ne.jp/kyotani/miniamp/miniamp1.htm

ミニアンプ2は

http://www.ops.dti.ne.jp/~ishijima/sei/elec3/amp-1.htm

を参考にさせて戴きました。石の選定や電源回路はちょっと変えております。

ミニアンプ1は6V動作で出力は250mW×2くらい。6Vなので乾電池4本でも鳴ります。出力は小さいですが、4Ωのスピーカで8畳の部屋なら十分な音量を出せます。ただ、あまり音量を上げると歪んでしまいます。全てディスクリート部品のはずだったのに、電源回路でIC(三端子レギュレータ)を使ってしましました。

ミニアンプ2は10V動作で出力は500mW×2くらい。こちらの方が利得が小さいのでミニアンプ1よりも音量は小さいですが、歪みにくいです。こちらはICは一切使わず正真正銘ディスクリート部品のみです。

ミニアンプ2は基板剥き出しになっていますが、実はミニアンプ1の筐体を共用出来るように作ってあるので、簡単に換装出来るのです。ネジ2本とコネクタ3個を付け替えるだけで換装完了です。
 

小幡城(茨城県東茨城郡茨城町)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 5月27日(木)22時37分12秒
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  外郭部に高速道が通ることになった小幡城に行って来ました。以前、発掘調査説明会が行われた場所がまさに高速道になっていました。掘り起こされた見事な横堀などはただの土くれになってしまったのでしょう。

その高速道を跨ぐ橋の名が「小幡城跨道橋」。一体誰のネーミングなのでしょうか。このプレートを書いたのは地元の小学生だとか。

写真下の中央付近はI氏が発見した遠堀があった場所です。
 

小西城(千葉県山武郡大網白里町)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 5月26日(水)22時33分0秒
返信・引用 編集済
  近い将来、圏央道建設のため湮滅する運命の小西城を見てきました。そんな訳で発掘調査の真っ最中でした。

以前訪れた時は酷い薮だったのですが、現在ではほぼ全域で伐採され堀も掘り起こされているので、往時にかなり近い姿を見ることが出来ます。特徴的な主郭への導入路なども実によく観察出来ます。写真はその導入路付近の遠景です。近影は大人の事情という奴でご勘弁を。

素晴らしい縄張りを持つ小西城ですが、湮滅は免れないようなので、ご覧になりたい方は早いうちにどうぞ。
 

上総國国分寺・国分尼寺(市原市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 5月24日(月)21時38分51秒
返信・引用 編集済
  上総國の国府は現在の市原市役所付近にあったとされています。国府そのものの場所は特定出来ていませんが、国分寺、国分尼寺は発掘が行われて回廊などが復元されております。

写真上。国分寺跡にある七重塔の礎石。この七重塔の高さはなんと63mもあったと推定されております。すぐ近くの市原市役所(10階建て)を凌ぐ大きさです。奈良時代にそんな巨大構造物を建設するテクノロジーがあったというのは驚きです。現在のスカイツリーとも申しましょうか。

写真中・下。復元された国分尼寺の回廊。こちらはこのように一部が復元されて古代の寺の様子を窺い知ることが出来ます。広大な敷地を持っているにもかかわらず、尼さんはたったの10人しかいなかったとか。

上総國国府というと、かつて国文学の学徒であったここの管理人は「更科日記」を想起せずにはいられません。更級日記の著者、菅原孝標女が少女期この近くで暮らしていたからです。彼女が京の物語世界に憧憬を抱いていたのがこの地であったと思うと実に感慨深いものがあります。「史跡上総国分尼寺跡展示館」の学芸員さんに、「菅原孝標女の住居跡って判っているのですか」と伺ったところ、全く不明だそうな。国府の場所すら確定出来ていないのだから当然と言えば当然のことですな。
 

寛永寺黒門

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 5月17日(月)00時02分37秒
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  寛永寺黒門(荒川区南千住)

上野戦争で最も激戦地だったのが、上野山入口の門「黒門」付近でした。城で例えれば虎口みたいな場所と言っていいでしょう。その門が円通寺に移築されています。

激戦地だけあって、無数の弾痕が残されております。よく「蜂の巣にしてやる」などと言いますが、本当に蜂の巣状態です。よくも炎上せずに残ったものです。
 

寛永寺旧本坊表門

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 5月14日(金)22時15分34秒
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  寛永寺旧本坊表門(東京都台東区上野公園14番)

上野戦争の戦跡を見てきました。上野戦争とは彰義隊ら旧幕府軍が立て籠もる上野寛永寺に新政府軍が猛攻を加えて撃破した戦闘であります。大伽藍であった寛永寺はそのほとんどを焼失しましたが、この旧本坊表門は戦火を免れて現在の位置(寛永寺輪王殿)に移築されております。

門扉には幾つかの小銃弾の痕と砲弾が貫通した穴が今でも空いています。砲弾の穴は直径10cmくらいなのですが、ひょっとするとこれは長州藩が撃ち込んだアームストロング砲の痕かもしれません。
 

只見へ

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 5月11日(火)22時20分24秒
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  福島県南会津郡只見町に行って来ました。最近、司馬遼太郎著『峠』を読みまして、その主人公「河井継之助」終焉の地を見に行きたくなったという次第です。

写真上 河井継之助の墓。北越戦争で敗れた長岡藩兵は会津へ落ちて行きますが、家老河井継之助は受けた銃創が悪化してこの地で最期を迎えます。墓の前の白い物は残雪です。

写真中 只見町の代表的な城、水久保城に行くことにしました。山城なので山道をてくてくと登り始めますと、なんと道が雪で塞がれているではありませんか! まだ比高15mくらいしか登っていないというのにこの有様。長靴は持っていないし、登れば登るほど雪は酷くなりそうだし・・・。なんだか遭難しそうな雰囲気なので今回の登城はやむなく中止することに。

写真下 只見地区センターに保存されているC58。実はこのSL、去年知り合いがボランティアで塗装し直したということで、その出来映えを拝見しに来たのであります。塗装前の姿の写真をネットで見た時は、もうボロボロで酷いものだったのですが、ご覧の通りすっかり化粧直しされておりました。各地で展示されているSLは不況のあおりで修繕もされず放置されたままのものが多いのですが、只見町のようにボランティアを募ってやるというのはいいアイディアだと思いました。
 

バッテリー復活へ

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 5月 7日(金)20時17分52秒
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  我がZZR号に搭載されているバッテリーは3年前に交換したものですが、最近めっきり弱ってしまいました。1週間乗らないだけでエンジン始動出来ないほどです。丸3年なのでもう寿命とみてもいいのですが、その間たったの9000kmしか走っていないのが癪というのもあるし、そもそもこのバッテリーは甚だ高価なのでそう簡単に買い換える訳にもいきません。と言う訳で以前製作したバッテリー回復装置「デサルフェータ」のお出ましと相成りました。

まずは懸案のバッテリーをバイクから降ろしてどのくらいの容量があるのか、計測してみました。新品なら14Ah(1Aで14時間取り出せる)です。ところが驚いたことにたったの2.8Ahしかありません。なんと本来の20%しかありません。原付用バッテリーよりも低い数値です。うーむ、これでは1週間でエンジンがかからなくなる訳です。

さっそくデサルフェータに接続しっぱなしにて放置しております。ただ今約1週間ほど経ちましたが、容量は約5.3Ahまで復活しました。せめて10Ahくらいまで復活して貰いたいところですが、いつまでかかるやら・・・。
 

近所の桜

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 4月29日(木)22時43分43秒
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  ガラにもなくたまには花の話題でも。

近所の桜が今満開です。ソメイヨシノはとっくに散っていますが、別の品種なので今頃満開になっております。植物は全くの門外漢なのでどういう品種なのかも判りません。

かつて、この場所は旧佐原市の「市の木」ポプラの並木道でした。30年ほど前、ポプラには害虫アメリカシロヒトリが付くということで、市の木だというのに全部切り倒されてしまいました。その代わりに植えられたのがこの桜なのであります。桜もアメリカシロヒトリの餌食になりそうなものですが、今のことは無事のようです。
 

開港した茨城空港

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 4月28日(水)22時44分6秒
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  数年後にはなくなってしまうかもしれない茨城空港の見学に行って来ました。てっきり閑古鳥が鳴いているのかと思っていたら大間違い。見学者でごった返してしました。多分、搭乗客の数倍は来ていると思う。

写真上。韓国仁川空港から飛んできたアシアナ航空機A320。ひづめさんが降りてくる搭乗客の人数を数えていて、40数名だったとか。ちなみにA320の定員は140人。搭乗率約30%とは・・・。

写真中。F-4がタンデムで離陸していくシーンです。茨城空港は航空自衛隊百里基地でもあるので、自衛隊機が頻繁に離着陸を繰り返しています。茨城空港は毎日たった2便しかないので、滅多に離着陸を拝むことは出来ないのですが、ながーいインターバルは自衛隊機を見学して楽しみましょう。

写真下。送迎デッキには変わったガラスが仕込まれています。右の方は普通に見えるのですが、左を見ると曇りガラスになってしまう偏光ガラスになっています。おそらく基地内を覗き込まれるのを防ぐ防諜上の理由からでしょう。こいつのせいで、滑走路の見学は甚だ不便な物になってしまっております。
 

アンプ付きモノラルスピーカーの製作

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 4月17日(土)12時22分47秒
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  久し振りに半田ごてを握って電子工作をしてみました。

今回の作品はお世話になった方へのプレゼントでして、携帯音楽プレーヤーなどをイヤホンなしでお気軽に再生させるためのモノラルアンプ付きスピーカーです。贈り物なので、筐体にも力を入れてみました。素材はシナ合板。前面バッフルは日本の伝統「漆塗り」で豪華さを強調。他はシナ材の木目を活かすためにアクリルクリア塗装の上にジェルニス(クリア)を擦り込んで光沢を出しています。

内蔵のアンプ回路は新たに設計しました。電源は単三乾電池4本(6V)という制限があるので、選択出来るパワーアンプICは限られてしまうのですが、今回は音量重視ということでNJM2073を採用しました。これをBTL接続にした上で、利得を36dBに下げてします。プリアンプにはオーディオ用オペアンプNJM4580DDを採用。これで左右の信号を加算演算した上に低音ブーストをかけています。

スピーカーユニットはダイトーボイス「F-66A60」。初めて使うユニットですが、どんな音が出ることやら・・・。

で、肝心の音質ですが・・・。周波数特性グラフを載せておきますので、これでご想像下さい。
 

懐かしいつくば科学万博

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 4月 8日(木)19時19分58秒
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  今年はつくば科学万博開催25周年ということで、各地で当時を偲ぶ展示会などが開催されています。25年前の夏、私も友人と見学に行ったのですが、なぜかあまり記憶がありません。強いて言えば、ソ連館(!)で食した料理が高価な割に不味かったと言うくらいです。

さて、その当時の品々を見るにつれ、25年の歳月は思っていたよりもずっとかけ離れていたことに痛感させられます。当時最先端とされたテクノロジーは今や完全に旧式。デザインもしかりで、近未来的とされていたものが今見るとダサいことこの上ない。(写真上)

会場に華を沿えるコンパニオンさんたちも隔世の感です。コスチュームもそうですが、コンパニオンさんそのものも・・・。よく考えると、彼女たちは私と同じくらいの年齢なんですね。今、彼女たちはどうしているのでしょうか。(写真中)

写真下はつくばエキスポセンターに展示されている鍵盤楽器自動演奏ロボット「ワスボット」。日本政府が出展したテーマ館で展示されていたので「科学万博の目玉」といっていい代物です。頭部のカメラで楽譜を読み取り手足を動かしてエレクトーンを演奏するという当時の最先端技術の粋を結集した夢のロボであります。

今見ると、サーボモーターがやたらデカかったり、指の関節は空気圧で動かしていたり、そのホースが剥き出しだったりとかなり古くささを感じてしまうのですが、25年前にこんな芸当をやってのけたのは凄いことです。

今見るとどうしても旧式のテクノロジーではありますが、当時の科学者・技術者・官僚達の科学技術に対する情熱がひしひしと伝わって来ます。「何が何でも我が国を科学立国にしてみせるのだ!」という熱き情熱です。その後、日本は彼らの望み通り世界トップクラスの科学立国へと成長しました。彼らの情熱は無駄ではなかったのです。そして25年たった現在、政府の要人が「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?」などとほざく時代になってしまいました。当時の科学者・技術者・官僚達はその言葉をどう感じていることでしょう。そして25年後の日本はどういう国になっているのか気になります。

 

河村城&河村新城(神奈川県足柄上郡山北町)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 4月 7日(水)22時11分46秒
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  凸河村城(神奈川県足柄上郡山北町)
当城は3年前にも来ているのですが、その後の発掘&復元がどうなっているか気になってまたやってきました。で、発掘調査は3年前からほとんど進んでいません。というか放置されている状態で、覆い被さっているはずのシートはボロボロになっていました。桜の季節なので花見客が結構来ていました。(写真上)

凸河村新城(神奈川県足柄上郡山北町)
当城は茶畑などになっておりあまり城の雰囲気は残っていません。ただ、城域北西にある横堀だけは立派です。(写真中)

◎中川温泉
山北町には「武田信玄の隠し湯」と称される中川温泉があります。ついでなのでひとっ風呂浴びてきました。武田軍が北条氏を攻めた後、将兵の負った傷を癒すために当温泉に立ち寄ったのだとか。(写真下)
 

西洋医学所跡(東京都台東区)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 4月 5日(月)20時05分45秒
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  ドラマ「JIN-仁-」(TBS)でよく登場していた「西洋医学所」跡に行って来ました。西洋医学所とは江戸幕府の西洋医学校兼病院で1858年、伊東玄白ら蘭方医によって設立された種痘所が格上げされたものです。その二代目頭取が緒方洪庵となっております。西洋医学所は後に東京大学医学部へと変遷しております。

で、場所は東京都台東区台東1丁目30番あたりだそうな。秋葉原のすぐ近くです。電子パーツを買いに行ったついでに寄ってみました。現地に行っても案内板のようなものは何一つあらず、ただのオフィス街と変わり果てていました。幕末において最先端医療を担っていた施設があった場所とはちょっと想像出来ないですね。
 

墨俣一夜城(大垣市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 3月31日(水)23時15分36秒
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  岐阜羽島駅前の宿から岐阜城へ向かう途中、偶然にも墨俣一夜城前を通りかかったので、車内から写真だけ撮ってきました。

秀吉を扱ったドラマでは必ず登場するほど有名な墨俣一夜城ですが、これほど実態とかけ離れた城は珍しいのでは?
 

高遠城(伊那市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 3月30日(火)22時44分58秒
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  桜で有名な高遠城に行って来ました。桜どころではなく雪が降っていました。有名な高遠城ではありますが、さすがにこんな日には来る酔狂ものは私一人だけ。

城の遺構を見る気にもなれないので、「江島囲み屋敷」に行って来ました。ご覧の通り、部屋には格子がはめられ、塀には危なっかしいものが設置されております。この屋敷は現存物ではなく、復元されたものとか。

伊奈ICから中央道経由で帰ろうとしたところ、なんと諏訪ICからチェーン規制! 一応チェーンは持っていましたが、金属チェーンでは時速20kmくらいしか出せません。それで高速道を走るのは顰蹙ものです。仕方ないので、諏訪ICで一旦降り、今来た道を名古屋方面に向かい東名を使って帰って来ました。物凄く遠回りでした。その余計に走った距離はなんと370km! \1000高速だからよかったものの、ガソリン代は随分無駄にしました。写真下は諏訪IC付近の様子。
 

海ほたる

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 3月26日(金)21時28分50秒
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  パシフィコ横浜に行くにあたり、アクアラインを使ってみました。我が家から横浜に至るには東関道~首都高ルートが最短なのですが、森田健作知事のご尽力によりアクアライン料金が\800に値下げされましたので、遠回りなのを覚悟で使ってみました。

アクアラインそのものは2度ほど走っているのですが、今回は初めて「海ほたる」に寄ってみました。海上パーキングエリアというのもなかなか良いものです。

写真上はアクアラインから川崎方面を望んだもの。
写真下は木更津方面を望んだもの。
 

適塾(大阪市中央区北浜)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 2月13日(土)23時47分24秒
返信・引用
  昨年、TBSのドラマ「JIN-仁-」にはまっておりました。それに武田鉄矢演ずる緒方洪庵が登場するのですが、実に魅力的な人物として描かれておりました。そんな彼が開いた私塾が「適塾」であります。その適塾を見たくて大阪まで行って参りました。

到着したのが19:30頃、もう真っ暗でこんな写真しか撮れませんでした。日中なら内部見学も可能なのですが、この時間では無理。ささっと外から眺めることしか出来ませんでした。

この適塾は現在、大阪のオフィス街のど真ん中にありまして、とても史跡探訪の雰囲気の場所ではありません。車で行ったのですが、一歩通行が多い上に、ビルの谷間が多いのでカーナビの精度が悪い! 散々、オフィス街を走り回ってようやく到着したのでありました。

適塾の門下生はそうそうたる顔ぶれが揃っております。福沢諭吉、大鳥圭介、大村益次郎、橋本左内等々。適塾はその後、大阪大学へと姿を変えております。
 

天保水滸伝関連史跡(東庄町笹川)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 2月 9日(火)23時58分26秒
返信・引用
  JR笹川駅付近は天保水滸伝の舞台であります。延命寺には登場人物たちの慰霊碑(墓?)あります。写真上はそれでして、中央は笹川繁蔵、左が勢力富五郎、右が平手造酒です。どれも立派で大名クラスと言っても過言ではありません。実際はヤクザとその用心棒なんですけど・・・。どれも昭和の初め頃、地元有志たちによって建立されたものだそうな。

写真下は笹川繁蔵最期の地です。飯岡助五郎の手下によって暗殺された場所です。
 

Re: 大涌谷(神奈川県箱根町)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 1月30日(土)20時58分42秒
返信・引用
  > No.1397[元記事へ]

ひづめさん、こんばんは。

>大湧谷は小学校の時に家族で行ったことがあるので、40年以上昔です。

私も小学生以来ですね。久し振りに食べた黒玉子の味は・・・、普通のゆで卵でした。

>2月20日(土)に小田城のシンポがあるようです。『薮ログ』に書いておきました。

拝見しました。講演者のうち、お二人存じ上げていますので、興味ありますね。参加するつもりでおります。土曜日なのでひづめさんは無理そうですか。
 

Re: 大涌谷(神奈川県箱根町)

 投稿者:ひづめ  投稿日:2010年 1月30日(土)14時32分8秒
返信・引用
  > No.1396[元記事へ]

オカちゃん、こんにちは。

大湧谷は小学校の時に家族で行ったことがあるので、40年以上昔です。

2月20日(土)に小田城のシンポがあるようです。『薮ログ』に書いておきました。

http://yablog.blog6.fc2.com/

 

大涌谷(神奈川県箱根町)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 1月28日(木)23時55分58秒
返信・引用
  山中城に行く途中、寄って来ました。ここに来るのはなんと33年ぶりです。そんな昔の記憶はほとんどないのですが・・・。

温泉の湯煙と硫化水素ガスの強烈な臭いが相まって、まるでこの世とは思えない情景を醸し出しております。かつては地獄谷と呼ばれていたそうですが、本当に地獄とはこんな場所のような気がします。

名物の黒玉子もしっかり頂いて来ました。大涌谷から望む富士山もご一緒にどうぞ。
 

山中城(静岡県三島市)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 1月26日(火)20時38分17秒
返信・引用
  ご存知山中城です。久し振りにやってきました。有名なので詳細は述べませんが、畝堀、障子堀を駆使した北条流築城術の粋を集めた名城であります。そんな最新テクノロジーを持ってしても豊臣の大軍の前にはたった半日で陥落したのでありました。ランチェスターの法則を想い出させますな。  

千葉道場跡

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2010年 1月10日(日)17時07分5秒
返信・引用
  千葉周作の道場跡(玄武館)に行って来ました。幕末を扱った時代劇ではお馴染みの道場で、ここからは山南敬助、山岡鉄舟、坂本龍馬など多くの著名な門下生を輩出しております。写真をご覧の通り、今は石碑と案内板があるのみです。現在の住所で言えば「東京都千代田区神田東松下町24」あたりになります。秋葉原のすぐ近くでして、電子パーツの買い物がてらに見学してきました。

この道場に興味を持ったのは坂本龍馬などからではなくて、実は三波春夫の名曲「大利根無情」からなのです。「大利根無情」は講談などでお馴染みの『天保水滸伝』に登場する平手造酒を主人公に歌っております。歌中の科白で「佐原囃子が聴えてくらァ 想い出すなァー 御玉ヶ池の千葉道場か」とありまして、「佐原囃子を聴いて想い出すような千葉道場とは一体どんなものなのか」という興味から見に行ったという次第です。

平手造酒とは博徒の親分、笹川繁蔵の用心棒で大利根河原の決闘において惨殺されております。元は千葉道場で腕をならした侍だったのですが、落ちぶれて浪人となり笹川まで流れてついて用心棒をしているという設定になっております。

この平手造酒、てっきり架空の人物かと思っていたのですが、どうやら実在したそうです。惨殺後の御検分書が残されており、そこには「無宿浪人 平田深喜」とあります。また一説には水戸の北辰一刀流の門弟「平田三亀」で神崎町に墓があるそうな。実在はしたものの、詳細は不明の人物だったと言えましょう。

そんな得体の知れぬ浪人の生き様を唄った名曲「大利根無情」をどうぞ。

 

24時間タイマーの製作

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2009年12月25日(金)19時13分2秒
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  24時間後に接続された電気製品の電源をオンまたはオフするタイマーを作ってみました。

どうしてそんなものを作ったかというと、次の通り。いつも使っている電気シェーバーの内蔵電池がいかれてしまったので、欲張って大容量電池(約3倍)に交換しました。本来は8時間で充電完了なのですが、そういうわけで24時間もかかることになってしまいました。手持ちのタイマーは最長で11時間しか使えないので、この際自作してしまったという次第です。

この回路の肝はタイマICのAN6780です。タイマ時間の設定はコンデンサと抵抗器の組み合わせで行いますが、コンデンサは良質のフィルムコンデンサを使用せねばなりません。これが結構高価なのですが、先日の関西遠征の際、大阪日本橋で買ってきたものを使用しております。

写真をご覧の通り、ケータイ用充電器を電源として利用しております。こいつはなかなか重宝します。

大変だったのがテストでして、なにせ、タイマーが動作するのが24時間後です。1日1回しかテスト出来ないんですね。7回くらいはやったので、テストだけで1週間もかかってしまいました。
 

塚原城発掘調査現地説明会

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2009年12月23日(水)23時15分7秒
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  先日、ひづめさん夫妻と訪れた塚原城ですが、本日、発掘調査説明会が行われたので参加して来ました。

写真は橋脚台跡です。二曲輪へ跳ね橋がかかっていたとのこと。

以下は本日の現説とは関係ない私の所見です。

当城は主郭や二曲輪を見るとありきたりの城でパッとしないのですが、曲輪群の北側の遺構は凄いです。北浦湖畔側から登城出来る通路がありまして、塚原城最大の見所となっております。

北側湖畔を南下して来た敵兵はこの通路と通り城内へ侵入を企てようとします。まず厳重な櫓門を構えた城門(多分枡形門)に進撃を阻まれます。ようやくこれを突破すると今度は二又に別れた分岐点に達します。右手は主郭方向、左手は城外へ逸れる方向。右手に向かえば近道ですが、そこには急峻な切岸がそびえ、その上からは城兵が銃や弓で狙いを付けております。敵兵は否応なしに左手の通路を選択することになります。ここまで来ればしめたもので、この谷状通路こそは塚原城自慢の敵兵殲滅装置なのであります。この通路は広々としていて敢えて大勢の敵兵を誘い込むためのものです。この谷の両岸には何段もの鉄砲陣地が構築されており、誘い込まれた敵兵は左右から猛烈な銃撃を受けることになります。おそらく、この谷底は夥しい敵兵の屍で埋まることでしょう。

このように敢えて敵兵を誘い込み一気に殲滅するという築城思想は中居城の念仏堀と同様です。おそらく、天正19年の三十三館仕置の前後、佐竹軍の侵攻に備える為に急造したものではなかろうかと。主郭あたりには感じませんが、この北側通路には戦闘的な臭いがプンプンします。まさに血の臭いが。

ひづめさんが概略図を描かれているのでこちらもどうぞ。

http://yablog.blog6.fc2.com/blog-entry-740.html

本日の現説でもこの北側遺構についてちょこっと言及がありました。敵兵を敢えて誘い込み一気に殲滅する云々というのは私と同意見でした。年代までは言及されていませんでしたが・・・。

発掘は始まったばかりで、まだ続けるそうなのでこれからの発掘成果に期待しております。
 

Re: 塚原館

 投稿者:ひづめ  投稿日:2009年12月22日(火)08時21分55秒
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  > No.1390[元記事へ]

おはようございます。

> 拝見しました。仕事が早いですね。大して期待していなかったせいか、あの遺構には圧倒されました。
久し振りに血湧き肉躍るような城を見ました。もっと早くから知っていれば『図説茨城の城郭』に載せた
かったですね。概略図拝見して気付いたのですが、あの豪快な堀をそのまま伸ばせば台地からは完全に
切り離せので、ひょっとしたらあの延長上に埋められた堀があるのかも・・・。

 当時知っていればこの城は入れたでしょうね。また、昨日は堀切Aに平行な堀が無いかと南へ行って
しまいましたが、むしろ東側の台地から分離させる堀切を探す方が自然ですね。

> その通りなのですが、国道51号線は潮来市内が渋滞するので敢えて遠回りしてみました。

 走りながらそういうことだろうとは思っていました。

http://yablog.blog6.fc2.com/

 

Re: 塚原館

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2009年12月21日(月)23時14分14秒
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  > No.1389[元記事へ]

ひづめさん、こんばんは。

こちらこそ、どうもありがとうございました。

>距離感とか方角とか正確ではありませんが、概略図を作ってみました。

拝見しました。仕事が早いですね。大して期待していなかったせいか、あの遺構には圧倒されました。久し振りに血湧き肉躍るような城を見ました。もっと早くから知っていれば『図説茨城の城郭』に載せたかったですね。概略図拝見して気付いたのですが、あの豪快な堀をそのまま伸ばせば台地からは完全に切り離せので、ひょっとしたらあの延長上に埋められた堀があるのかも・・・。

> オカちゃんの説も紹介させていただきました。

こりゃどうもありがとうございます。

> 帰りは、目の前の新神宮橋を渡った方が近かったのではないでしょうか。

その通りなのですが、国道51号線は潮来市内が渋滞するので敢えて遠回りしてみました。
 

塚原館

 投稿者:ひづめ  投稿日:2009年12月21日(月)21時19分13秒
返信・引用
  オカちゃん、本日はありがとうございました。

距離感とか方角とか正確ではありませんが、概略図を作ってみました。
オカちゃんの説も紹介させていただきました。

帰りは、目の前の新神宮橋を渡った方が近かったのではないでしょうか。

http://yablog.blog6.fc2.com/

 

Re: 石田館(茨城県筑西市東石田)

 投稿者:ひづめ  投稿日:2009年12月20日(日)19時18分47秒
返信・引用
  > No.1387[元記事へ]

かなり前に東石田ではなく豊里方面を歩いていたとき、地元のじぃさまの話が国香に及んだときに確か
「しだ」と言った様に記憶しています。ただ、ものすごいネイティヴ茨城弁だっため聞き取りに自信がなく、
単なる聞き間違いだったかもしれません。
 

Re: 石田館(茨城県筑西市東石田)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2009年12月20日(日)12時14分11秒
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  > No.1386[元記事へ]

ひづめさん、こんにちは。

> これって、「しだ」と読むんでしたっけ?それとも私の聞き違いかな。

「石田」の読みですよね。私は普通に「いしだ」だと思っておりました。こちらで調べたら「いした」になっていました。

http://map.yahoo.co.jp/address?ac=08227h

どれが正しいのでしょう。
 

Re: 石田館(茨城県筑西市東石田)

 投稿者:ひづめ  投稿日:2009年12月20日(日)10時59分45秒
返信・引用
  > No.1385[元記事へ]

これって、「しだ」と読むんでしたっけ?それとも私の聞き違いかな。

http://yablog.blog6.fc2.com/

 

石田館(茨城県筑西市東石田)

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2009年12月19日(土)21時24分24秒
返信・引用 編集済
  石田館は筑西市東石田の東石田公民館あたりにあったとされています。いわゆる比定地ってやつです。一応、案内板が建っております。近くを歩いてみましたが、遺構らしいものはありませんでした。たとえ、ここがそうだとしても平安時代の館跡なので遺構の残存は望めないでしょう。

石田館は平国香の居館です。平国香はあの有名な平将門の叔父にあたり、承平天慶の乱の張本人でもあります。甥の将門と激しく対立し、将門軍にこの石田館を襲撃され滅んでおります。国香は惨めな末路をたどりましたが、彼の子孫は大いに繁栄し歴史上有名な人物を輩出しております。平清盛、鎌倉北条氏、大掾氏・・・。

その昔、NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」を観ていたのですが、この平国香は酷い悪人として描かれていたのを今でも憶えております。その石田館は遙か遠い場所にあるイメージがあったのですが、案外近いのでびっくりしました。
 

茨城空港

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2009年12月18日(金)21時33分51秒
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  来年3月に開港予定の茨城空港を見てきました。といっても工事中で近付けないので遠くから眺めて来ただけです。

開港間近ということで、百里基地のあたりはすっかり様変わりしているものかと思っていたら、あまり変わっていませんでした。肝心の空港ターミナルビルも下写真の通りです。

乗り入れを表明しているのは韓国アシアナ航空のたった1社、毎日1往復だけだそうですが、そんな空港って他にあるんですかね。どう見ても開港前からこの事業は頓挫しているとしか思えません。
 

レギュレートレクチファイアの交換

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2009年12月16日(水)19時42分39秒
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  ミラージュ号に取り付けたLED式電圧計をオフロードバイクXLR200にも装備してみました。ところが、そいつで電圧を計測してみますと、どうもおかしい。普通、エンジン回転を上げると電圧も上がるはずなのですが、どういう訳か逆に下がってしまう。(11Vくらい) 多分、自作のLED電圧計が異常なのだろうと正確なデジタルテスターで計測したところ、LED電圧計は異常なし。どうもバイクの電装系に異常があるらしいです。高回転(5000rpm)で電圧がたったの11.0Vしか上がらないのではいくら走ってもバッテリーが充電されないではないか! 1週間ほど乗らないでいると、バッテリーが上がっていることが何回はあったのですが、どうもこいつのせいらしい。サービスマニュアルを参考にして点検したところ、原因はレギュレートレクチファイアが最も怪しい。

ちなみにレギュレートレクチファイアとは電装部品の一つで、ジェネレータで発電された交流電流を直流に変換し、所定の電圧(XLR200の場合14.0V)まで下げる装置のことです。

それほど実害はありませんが、気になるのでネットオークションで中古品を購入して交換してみました。で、その結果は13.8V/アイドリング、12.8V/5000rpm。サービスマニュアルによれば5000rpm時は14.0Vないといけないのですが、1.2Vも低い! 以前よりは改善されていますが、これではやはりフル充電はされませぬ。レギュレートレクチファイアって古くなると電圧が下がるものなんですかね。取り敢えずはこれで誤魔化しておくつもりでおります。
 

関西遠征:その14

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2009年12月14日(月)20時23分44秒
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  篠山城(兵庫県篠山市)

こちらも2度目ですが、スタンプを押しに。スタンプは復元大書院内にあるので、そちらも見学。大書院は昭和19年に消失しましたが、平成12年に復元されております。ちゃんと木造でしてかなり忠実に復元していると思われます。

大書院見学を終えて玄関でスリッパから靴に履き替えようとしたところ、私の靴がなくなっておりました。「誰か履いていきやがったな」と思っているやいなやおっさんが吹っ飛んで帰って来て「靴間違えてもうた!」と慌てて履き替えております。そのおっさんに履かれている靴はもちろん私のでした。無事に帰っては来ましたが、靴を間違えられるなんて小学生以来のことです。大人になっても靴を間違える人がいることにちょっと衝撃を受けたのでありました。

これにて関西遠征レポートは一巻の終わりでございます。
 

関西遠征:その13

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2009年12月13日(日)19時21分12秒
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  岩尾城(兵庫県丹波市)

ネットでの情報で当城は「小学校の裏山」とあったので、「たぶん50mくらい登ればいいのだろう」とたかをくくっていたら大間違い。比高はなんと約230mもあった。軽装備で登ったのは失敗でした。置塩城に続いてまたも険しい山城でもうヘトヘトです。

さて、岩尾城は標高約360mの山上に築かれた山城です。置塩城と打って変わって山上の平坦面は極端に狭いです。現地案内板には本丸、二の丸、西の丸などと曲輪名が書かれていますが、どれも猫の額ほどの面積しかなく、もし建物が建っていれば各曲輪も数人ずつしか籠もれないような狭さです。さらに驚くべき事にこんな狭い城にも関わらずかなりしっかりした石垣が構築されております。狭い山上にごちゃごちゃと石垣が組まれている様子はまるで、近世城郭のミニチュアを観ているようでもあります。

写真上。小さいながらも天守台があります。どんな天守が建っていたのでしょう。

写真中。土塁上(古城見張り台)から天守台を望む。せっかく石垣が見事なのに、結構薮が酷くてその威容も半減です。

写真下。小学校の裏手から山へ登る場所にはこのように柵(フェンス)と城門(扉)が設けられておりまして、次のような掟書き(注意書き)が貼られております。「岩尾城へ登られる方へ 開けたら必ず閉めて、施錠して下さい。この柵は猪や鹿が幼稚園や小学校に入らないよう・・・」なんと野生動物封じの柵! 城に行くのに城門を施錠して入るというのは初めてだったので、ご紹介しておきます。
 

関西遠征:その12

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2009年12月12日(土)21時14分5秒
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  置塩城(兵庫県姫路市)

播磨國守護赤松氏の居城です。比高約320mの山上に築かれた山城です。登るには一苦労します。

当城の特長はなんといっても、曲輪の広さです。とても標高380mの山上とは思えないほどの広大な居住空間を有しております。ちょっとした腰曲輪でも驚くほどの広さ。そんなものが何段も連なっている姿は雄大そのものです。

元々は総石垣造りの城だったらしいのですが、徹底的に破城されたためしっかりした石垣は意外と少ないです。その代わり、崩された石垣と思われる岩がそこら中ゴロゴロしております。ここの石垣は姫路城に転用されたとか。

曲輪は広大ですが、縄張り的にはそれほど技巧的とは言えません。この高さですから、そんなに凝る必要もなかったのでしょう。

写真上。本丸です。ちょっと見えていますが、ブルーシートが落ち葉に埋もれております。発掘調査を行ったままでそのまま放置してあるようです。

写真中。「大石垣」。その名からどれだけでかいのかと期待したのですが、こんなもんです。これから想像するに、本来の置塩城は利神城をもっと広大にした感じではなかったのでは・・・。

写真下。本丸より望む瀬戸内海。本丸からの眺望は素晴らしいです。姫路城も見えるそうですが、いくら目を凝らしても見えませんでした。双眼鏡でも持ってくれば良かった。
 

関西遠征:その11

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2009年12月11日(金)23時15分35秒
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  姫路城(兵庫県姫路市)

いうまでもなく世界遺産の姫路城です。こちらも再訪ですが、スタンプを押しに。そんな訳で天守には入っていませんが、外からでもその優美な姿を観ることは出来ます。

修復工事中と聞いていたので、天守にブルーシートでもかけられていると思っていたら、別の多聞櫓が工事中でした。
 

関西遠征:その10

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2009年12月10日(木)22時52分3秒
返信・引用 編集済
  明石城(兵庫県明石市)

こちらは二度目の訪問ですが、今回はスタンプを押しに。確か、日曜日なら復元櫓内に入れると記憶していたのでそれを楽しみにしていたのですが、公開は10:00からでした。あと90分も待つのも馬鹿馬鹿しいので諦めて次の城へ。
 

関西遠征:その9

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2009年12月 9日(水)18時55分56秒
返信・引用
  秋山城(奈良県宇陀市)

比高約120mの山上に築かれた山城で、石垣が良く残されています。縄張りも興味深い。発掘調査の最中らしく、掘り返した土の山が出来ていたりブルーシートがかけられていたりしました。どうも発掘が行われる前は酷い薮だったようで、良いタイミングで訪問できたようです。

城下の街並みも実に良い雰囲気で、時間があればじっくり散策してみたかったです。

写真下は「西口関門」で、てっきり移築門なのかと思っていたら、なんと元々この位置にある門だそうな。城下の城門がそのまま残っているケースというのはかなり珍しいのでは。
 

Re: カーエアコンのオート化

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2009年12月 8日(火)20時21分9秒
返信・引用
  > No.1375[元記事へ]

これほしい おやじさん、こんばんは。

ご覧戴きどうもありがとうございます。

> ズバリ、私にも作成していただくことは可能でしょうか?

ご希望とあらば作って差し上げます。ただし素人が作ったものですから、これを実車に取り付けるのはそれなりの労力と知識が必要と思われます。

というのも、元記事にも書いておきましたが、運転席のパネル(ダッシュボード?)を外さないといけません。私はこれが出来ずに失敗に終わっております。

それとご提供できるのは写真にある回路だけですので、メーカー製のようにコネクターで接続して完了というわけにはいきません。それに伴う電気の知識と半田付け作業が必要になります。

それでよろしいということであれば、パーツ代+送料で製作致しますがいかが致しましょう。
 

Re: AKB48ご一行様、佐原へ来たる

 投稿者:ここの管理人  投稿日:2009年12月 3日(木)23時30分57秒
返信・引用
  > No.1373[元記事へ]

ひづめさん、こんばんは。

函館は風光明媚な街ですからロケにたくさん使われるでしょう。

> 佐原の印象はどのように変わって見えるでしょうか。

それが案外、普段の印象と変わらないですね。普段でも自転車女子校生が走っているような場所ばかりですからね。

むしろ、土地勘があるせいか実際にはあり得ないルートを走っているので、そちらの方が気になってしまいました。「さっきと逆行しているぞ」とか「何回利根川を渡っているんだ」とか。さっき観なおしたのですが、一本の川沿いを走っていくコースっていう設定なんですな。実際にはそうではなくて、写真2は新左衛門川、写真4は小野川、写真5は利根川。土地勘があるせいで、そんな設定であることに気づきませんでした。
 

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